しょう。鶴子様位の御子様を見ます度に思い出されます。毎朝小児科の方に三つ四つの床を作りに参りますが、此の頃では子供も慣れて言葉をかけ、また私が帰ります時にはグードバイと皆口々に可愛いゝ声で叫《さけ》んでくれますから、可愛くて堪《たま》らなくなります。可愛いゝ子供も赤児《あかんぼ》も沢山居ります。どうか御姉上様にも御丈夫でいらっして下さいませ。
     九月八日[#地から5字上げ]ブルックリン病院にて
[#地から3字上げ]馨子
   御なつかしき
    御姉上様
        御まえに
身体の工合が悪いと申しましたが、大した事は御座いません。殊《こと》に病院で御座いますから、病気の心配は少しも御座いませんから、御安心下さいませ。
         *
もはや秋となりました。故郷《ふるさと》を思い出す時は、第一に粕谷の御家をなずかしく思い出します。去る八日、校長より学生として他の見習いの生徒と共に受け入れられ、今はキャプも貰《もら》い受け、真の看護婦になりました。無事に二ヶ月の苦しい見習いの時代は終りましたから、御安心下さいませ。
     十月十二日[#地から5字上げ]ブルックリン病院にて
[#地から3字上げ]馨子
   姉上様
         *
御はがきと御写真、夢ではないかとあやしむ程うれしく御なずかしく拝見いたしました。……相かわらず働きが激《はげ》しいので、私のような者には、身体《からだ》がとても続かぬと思いましたから止めようと思いましたが、然し倒れる迄は病院に居る積りで居ります。只信仰をもって神の助けによって日々の務をいたして居ります。
     十月廿四日[#地から5字上げ]ブルックリン病院にて
[#地から3字上げ]馨子
   姉上様
         *
十一月三日、今日は天長節で御座いますが、私に取っては何の変りもなく今日も一日働きました。然しなずかしき故郷《ふるさと》の事が今日は一しお恋しくなずかしく思われます。其後は如何御過し遊ばされますか。いつも御なずかしく、先日御送り下さいました御写真を眺めては自分の弱さを励まして居ります。私は其後変りもなく自分の天職と信じて従事いたして居りますから、御安心下さいませ。先ず御なずかしきまゝに一寸御伺いいたしました。
     十一月三日[#地から5字上げ]ブルックリンにて
[#地から3字上げ]馨子
   姉上様
         *
目出度きクリスマスを遙かに御祝い申上ます。
此のエハガキにある可愛い子供は誰で御座いましょうか。鶴《つる》ちゃんでは御座いませんでしょうか。あまりよく似て居りますもの。とにかく此の児はクリスマスを是非千歳村のなずかしい御家で迎えたいと申します。大急ぎで今出立いたさせますから、よろしく御願い申します。
     一千九百○九年|基督降誕《クリスマス》になりて[#地から5字上げ]ブルックリンにて
[#地から3字上げ]馨子
   御姉上様に
[#ここで字下げ終わり]

       七

 明治四十三年二月三日、粕谷草堂の一家が午餐《ごさん》の卓について居ると、一通の電報が来た。お馨《けい》さんの兄者人《あにじゃひと》からである。眼を通した主人は思わず吁《ああ》と叫んだ。
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馨急病にて死せりと
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 妻は声を立てゝ哭《な》いた。
 主人《あるじ》は直ちに葛城の母と長兄を訪《たず》ねた。彼は面目ない心地がした。若し死が人生の最大不幸なら、お馨さんの渡米を沮《はば》んだ彼人々は先見の明があったのである。彼は其足で更にお馨さんの父母を訪うことにした。銀座で手土産《てみやげ》の浅草海苔を買ったら、生憎《あいにく》「御結納《おんゆいのう》一式調進仕候」の札が眼につく。昨年の春頼まれもせぬ葛城家の使者としてお馨さんの実家に約婚の許諾を獲に往った彼は、一年もたゝぬに此様《こん》な用事で二たび其家を訪おうとは思わなかった。
 終列車は千葉までしか行かなかった。彼は千葉に泊《とま》って、翌朝房総線の一番に乗った。停車場に下りると、お馨さんの兄さんが待って居た。兄さんは赤い紙に書いた葛城から来た電文を見せた。
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馨子急病昨夜世を去る
[#ここで字下げ終わり]
とある。兄さんはまた、父は非常に興奮《こうふん》して、終夜《よすがら》酒を飲み明かし、母や私に出て行けと申しますと云った。
 岩倉家の玄関で車を下りると、お馨さんの阿爺《おとうさん》が出て来た。座に請《しょう》ぜられて、一つ二つ淀みがちな挨拶をすると、阿爺さんが突然わァッと声を立てゝ哭《な》いた。少し話してまた声を放って哭いた。やがて阿母《おっかさん》が出て来た。沈着な阿母も、挨拶半に顔が劇しく痙攣《けいれん》して、涙と共に声を呑んだ。彼
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