て右手《めて》を頸《くび》から釣って、左の手で不精鎌《ぶしょうがま》を持って麦畑の草など親分が掻いて居るのを見たのは二月も後《あと》の事だった。喧嘩の仲入《なかいり》に駈けつけた隣の婆さんは、側杖《そばづえ》喰《く》って右の手を痛めた。久さんのおかみは、詫《わ》び心に婆さん宅の竈《へっつい》の下など焚《た》きながら、喧嘩の折節《おりふし》近くに居合わせながら看過《みすぐ》した隣村の甲乙を思うさま罵って居た。

       七

 田畑は勿論《もちろん》宅地《たくち》もとくに抵当《ていとう》に入り、一家中|日傭《ひやとい》に出たり、おかみ自身《じしん》手織《ており》の木綿物《もめんもの》を負って売りあるいたこともあったが、要するに石山新家の没落は眼の前に見えて来た。「お広さん、大層《たいそう》精《せい》が出ますね」久さんが挽く肥車の後押して行くおかみを目がけて人が声をかけると、「天狗様《てんごうさま》の様に働くのさ」とおかみが答えたりしたのは、昔の事になった。おかみは一切稼ぎを廃《よ》した。而して時々丸髷に結って小ざっぱりとした服装《なり》をして親分と東京に往った。家には肴屋が出入したり、乞食物貰いが来れば気前《きまえ》を見せて素手では帰さなかった。彼女は癌腫の様な石山新家を内から吹き飛ばすべき使命を帯びて居るかの様に不敵《ふてき》であった。

           *

 到頭|腫物《しゅもつ》が潰《つぶ》れる時が来た。
 おかみは独で肝煎《きもい》って、家を近在《きんざい》の人に、立木《たちき》を隣字の大工に売り、抵当に入れた宅地を取戻《とりもど》して隣の辰爺さんに売り、大酒呑のおかみのあとに品川堀の店を出して居る天理教信者の彼おかず媼さん処へ引揚げた後、一人残った腫れぼったい瞼《まぶた》をした末の息子を近村の人に頼み、唯一つ残った木小屋を売り飛ばし、而して最早師匠の手を離れて独立して居る按摩の亥之吉《いのきち》と間借《まが》りして住む可く東京へ往って了うた。
 酒好きの老母と唖の巳代吉は、家が売れる頃は最早本家へ帰って居た。
 嬶《かか》に置去られ、家になくなられ、地面に逃げられ、置いてきぼりを喰《く》って一人木小屋に踏み留まった久さんも、是非なく其姉と義兄の世話になるべく、頬冠《ほおかむり》の頭をうな垂れて草履《ぞうり》ぼと/\懐手《ふところで》して本家に帰
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