は兄が唖で弟が盲であった。罪の結果は恐ろしいものです、と久さんの義兄はある人に語った。其内、稲次郎は此辺で所謂|即座師《そくざし》、繭買《まゆかい》をして失敗し、田舎の失敗者が皆する様に東京に流れて往って、王子《おうじ》で首を縊《くく》って死んだ。其妻は子供を連れて再縁し、其住んだ家は隣字《となりあざ》の大工が妾の住家となった。私も棺桶をかつぎに往きましたでサ、王子まで、と久さん自身稲次郎の事を問うたある人に語った。

       三

 背後は雑木林、前は田圃《たんぼ》、西隣は墓地、東隣は若い頃彼自身遊んだ好人の辰《たつ》爺《じい》さんの家、それから少し離れて居るので、云わば一つ家の石山の新家は内証事《ないしょうごと》には誂向《あつらえむ》きの場所だった。石山の爺さんが死に、稲次郎も死んだあと、久さんのおかみは更に女一人子一人生んだ。唖と盲は稲次郎の胤《たね》と分ったが、彼《あの》二人《ふたり》は久さんのであろ、とある人が云うたら、否、否、あれは何某《なにがし》の子でさ、とある村人は久さんで無い外の男の名を云って苦笑《にがわらい》した。Husband−in−Law の子で無い子は、次第に殖《ふ》えた。殖えるものは、父を異にした子ばかりであった。新家に出た時石山の老夫婦が持て出た田畑財産は、段々に減って往った。本家から持ち出したものは、少しずつ本家へ還《かえ》って往った。新家は博徒|破落戸《ならずもの》の遊び所になった。博徒の親分は、人目を忍ぶに倔強な此家を己《わ》が不断《ふだん》の住家にした。眼のぎろりとした、胡麻塩髯《ごましおひげ》の短い、二度も監獄の飯を食った、丈の高い六十|爺《じじい》の彼は、村内に己が家はありながら婿夫婦《むこふうふ》を其家に住まして、自身は久さんの家を隠れ家にした。昼《ひる》は炉辺《ろべた》の主の座にすわり、夜は久さんのおかみと奥の間に枕を並《なら》べた。久さんのおかみは亭主の久さんに沢庵《たくわん》で早飯食わして、僕《ぼく》かなんぞの様に仕事に追い立て、あとでゆる/\鰹節《かつぶし》かいて甘《うま》い汁《しる》をこさえて、九時頃に起き出て来る親分に吸わせた。親分はまだ其上に養生の為と云って牛乳なぞ飲んだ。
「俺《おら》ァ嬶《かか》とられちゃった」と久さんは人にこぼしながら、無抵抗主義を執って僕の如く追い使われた。戸籍面の彼の子供は皆彼
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