んも亡くなりました。文ちゃんの爺《じい》さんも亡くなりました。文ちゃんは稼《かせ》ぎ人《にん》で、苦しい中から追々|工面《くめん》をよくし、古家ながら大きな家を建てゝ、其家から阿爺《おやじ》の葬式も出しました。「斯様《こん》な家から葬式を出してもらうなんて、殿様だって出来ねえ事だ」と皆が文ちゃんの孝行をほめました。「腫物」に出た石山の婆さんも本家で亡くなりました。それは大正七年でしたが、其前年の暮《くれ》に「腫物」の女主人公、莫連《ばくれん》お広《ひろ》も亡くなりました。お広さんは石山新家を奇麗に潰《つぶ》して了うた後、馴染《なじみ》の親分と東京に往って居ました。「草とりしても、東京ではおやつに餅菓子が出るよ」なんか村の者に自慢して居ました。其内親分がある寡家《ごけ》に入り浸《びた》りになって、お広さんが其処に泣きわめきの幕を出したり、かかり子の亥之吉が盲唖学校を卒業して一本立になっても母親を構《かま》いつけなかったり、お広さんの末路は大分困難になって来ました。金に窮すると、石山家に来ては、石山さんの所謂『四両五両といたぶって』行きました。到頭|腎臓《じんぞう》が悪くなり、水腫《みずばれ》が出て、調布在の実家で死にました。死ぬまで大きな声で話したりして、見舞に往った天理教信者のおかず媼《ばあ》さんを驚かしたものです。離縁になってなかったので、お広さんの体《からだ》は矢張石山さんが引取って、こっそり隣の墓地に葬りました。葬式の翌日往って見ると、新しい土饅頭《どまんじゅう》の前に剥《は》げ膳が据《す》えられ、茶碗の水には落葉が二枚浮いて居ました。白木の位配に「新円寂慈眼院恵光大姉《しんえんじゃくじげんいんえこうだいし》」と書いてあります。慈眼院恵光大姉――其処に現われた有無の皮肉に、私は微笑を禁じ得ませんでした。而して寂《さび》しい初冬の日ざしの中に立って、莫連お広の生涯を思い、もっと良い婦人《おんな》になるべき素質をもちながら、と私は残念に思うのでありました。お広さんが死んで、法律上にもいよいよ※[#「環」の「王」に変えて「魚」、下巻−152−1]《やもお》になった厚い唇の久《ひさ》さんは真白い頭をして、本家で働いて居ます。唖の巳代吉は貧しい牧師の金を盗んだり、五宿の女郎を買ったりして居ましたが、今は村に居ません。盲の亥之吉も、季《すえ》の弟も居ません。一人女《ひとり
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