耶蘇教は我《が》強《つよ》く、仏教は陰気《いんき》くさく、神道に湿《しめ》りが無い。彼《かの》大なる母教祖《ははきょうそ》の胎内《たいない》から生れ出た、陽気で簡明|切実《せつじつ》な平和の天理教が、土《つち》の人なる農家に多くの信徒を有《も》つは尤である。
[#地から3字上げ](明治四十二年 十二月四日)
[#改ページ]
渦巻
小春日がつゞく。
十二月は余の大好《だいす》きな月である。絢爛《けんらん》の秋が過ぎて、落つるものは落ち尽《つく》し、枯《か》るゝものは枯れ尽し、見るもの皆|乾々《かんかん》浄々《じょうじょう》として、寂《さび》しいにも寂しいが、寂しい中にも何とも云えぬ味《あじ》がある。秋に別れて冬になろうと云う此|隙《ひま》に、自然が一寸静座の妙境《みょうきょう》に入る其幽玄の趣《おもむき》は言葉に尽くせぬ。
隣字《となりあざ》の仙左衛門が、根こぎの山豆柿《やままめがき》一本と自然薯《じねんじょ》を持て来てくれた。一を庭に、一を鶏《にわとり》の柵《さく》に植える。今年《ことし》は吾家《うち》の聖護院《しょうごいん》大根《だいこ》が上出来だ。種をくれと云うから、二本やる。少し話して行けと云うたら、また近所《きんじょ》に鮭《さけ》が出来たからと云うて、急いで帰った。鮭とは、ぶら下がるの謎で、首縊《くびくく》りがあったと云うのである。
橋本の敬さんが、実弟の世良田《せらだ》某《ぼう》を連れて来た。五歳《いつつ》の年|四谷《よつや》に養子に往って、十年前渡米し、今はロスアンゼルス[#「ロスアンゼルス」に二重傍線]に砂糖《さとう》大根《だいこん》八十町、セロリー四十町作って居るそうだ。妻《つま》を持ちに帰って来たのである。カンタループ、草花の種子をもらう。
此村から外国《がいこく》出稼《でかせぎ》に往った者はあまり無い。朝鮮、北海道の移住者も殆んど無い。余等が村住居の数年間に、隣字の者で下総《しもうさ》の高原に移住し、可なり成功した者が一度帰って来たことがある。何《ど》の家にも、子女の五六人七八人居ない家はないが、それで一向《いっこう》新しい竈《かまど》の殖《ふ》える様子もない。如何《どう》なるかと云えば、女は無論|嫁《とつ》ぐが、息子《むすこ》の或者は養子に行く、ある者は東京に出て職を覚える、店《みせ》を出す。何しろ直ぐ近所に東京と云う
前へ
次へ
全342ページ中293ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 健次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング