》を執らねばならぬと考えた。彼も妻も低い下駄、草鞋《わらじ》、ある時は高足駄《たかあしだ》をはいて三里の路を往復した。しば/\暁かけて握飯食い/\出かけ、ブラ提灯を便《たよ》りに夜《よる》晩《おそ》く帰ったりした。丸《まる》の内《うち》三菱《みつびし》が原で、大きな煉瓦の建物を前に、草原《くさはら》に足投げ出して、悠々《ゆうゆう》と握飯食った時、彼は実際好い気もちであった。彼は好んで田舎を東京にひけらかした。何時《いつ》も着のみ着のまゝで東京に出た。一貫目余の筍《たけのこ》を二本|担《にな》って往ったり、よく野茨の花や、白いエゴの花、野菊や花薄《はなすすき》を道々折っては、親類へのみやげにした。親類の女子供も、稀に遊びに来ては甘藷《いも》を洗ったり、外竈《そとへっつい》を焚《た》いて見たり、実地の飯事《ままごと》を面白がったが、然し東京の玄関《げんかん》から下駄ばきで尻からげ、やっとこさに荷物|脊負《せお》うて立出る田舎の叔父の姿を見送っては、都《みやこ》の子女《しじょ》として至って平民的な彼等も流石に羞《はず》かしそうな笑止《しょうし》な顔をした。
彼は田舎を都にひけらかすと共に、東京を田舎にひけらかす前に先ず田舎を田舎にひけらかした。彼は一切《いっさい》の角《つの》を隠して、周囲に同化す可く努《つと》めた。彼はあらゆる村の集会《しゅうかい》に出た。諸君が廉酒《やすざけ》を飲む時、彼は肴《さかな》の沢庵をつまんだ。葬式に出ては、「諸行無常」の旗持をした。月番《つきばん》になっては、慰兵会費を一銭ずつ集めて廻って、自身役場に持参《じさん》した。村の耶蘇教会にも日曜毎《にちようごと》に参詣して、彼が村入して程なく招《まね》かれて来た耳の遠い牧師の説教《せっきょう》を聴いた。荷車を借りて甲州街道に竹買いに行き、椎蕈ムロを拵《こしら》えると云っては屋根屋の手伝をしたりした。都の客に剣突《けんつく》喫《く》わすことはある共、田舎の客に相手《あいて》にならぬことはなかった。誰《たれ》にでもヒョコ/\頭を下げ、いざとなれば尻軽《しりがる》に走り廻った。牛にひかれた妻も、外竈《そとへっつい》の前に炭俵を敷いて座りながら、かき集めた落葉で麦をたき/\読書をしたりして「大分《だいぶ》話《はな》せる」と良人にほめられた。
玉川に遠いのが毎《いつ》も繰り返えされる失望であったが、井水
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