貴はまだ可《よ》いが、中には小作地が不足して住み馴《な》れた村にも住めなくなり、東京に流れ込んだり、悪くすると法律の罪人《ざいにん》が出来たりする。それから寺院墓地は免租地《めんそち》だから、結局村税の負担が増加する。何も千歳村の活気ある耕地を潰《つぶ》さず共、電車で五分間乃至十分も西に走れば、適当の山林地などが沢山あって、其《その》辺《へん》の者は墓地を歓迎して居る。其方《そち》へ行《い》けばよいじゃないか。反対の理由は、ざっと右の通りだ。尤も中に多少の魂胆《こんたん》もあろうが、大部分は本当に土に生き土に死ぬ自作農の土に対する愛着からである。変化を喜び刺戟《しげき》に生きる都会人には、土に対する本当の農の執着の意味は中々|解《げ》せない。真《しん》の農にとって、土はたゞの財産ではない、生命《いのち》其のものである。祖先伝来一切の生命の蓄積して居る土は、其|一塊《いっかい》も肉の一片|血《ち》の一滴《いってき》である。農から土を奪《うば》うは、霊魂から肉体を奪うのである。換言すれば死ねと云うのである。農を斯《この》土から彼《かの》土に移すのは、霊魂の宿換《やどがえ》を命ずるのである。其多くは死ぬるのである。農も死なゝければならぬ場合はある。然し其《それ》は軽々《かるがる》しく断ずべき事ではない。一は田中正造翁に面識《めんしき》なく谷中村《やなかむら》を見ないからでもあろうが、余は従来《じゅうらい》谷中村民のあまり執念深いのを寧ろ気障《きざ》に思うて居た。六年の田舎住居、多少は百姓の真似《まね》もして見て、土に対する農の心理の幾分を解《げ》しはじめて見ると、余は否《いや》でも曩昔《むかし》の非《ひ》を認《みと》めずには居られぬ。即ち千歳村の墓地問題の如きも、京王電鉄会社や大地主等にとっては利益問題だが、純農者にとっては取りも直さぬ死活問題であるのだ。
然るに京王電鉄は、一方|先棒《さきぼう》の村内有力者某々等をして頗る猛烈に運動せしむると共に、一方田夫野人何事をか仕出来《しでか》さんと高《たか》を括《くく》って高圧的《こうあつてき》手段《しゅだん》に出た。即ち関係地主の過半数は反対であるにも関せず、会社は村長の奥印《おくいん》をもって東京府庁に宛《あ》てゝ墓地新設予定地御臨検願を出して了う。霊場敷地展望台を畑の真中《まんなか》に持て来て建てる。果ては、云う事を聴か
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