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[#地から3字上げ](明治四十三年)
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ある夜
梅に晩《おそ》く桜に早い四月一日の事。
余は三時過ぎから、ある事の為にある若い婦人を伴うて、粕谷から高輪《たかなわ》に往った。午後の六時から十一時過ぎまで、ある家の主人を訪うてある事を弁じつゞけ、要領を得ずして其家を辞した時は、最早十二時近かった。それでも終電車に乗るを得て、婦人は三宅坂《みやけざか》で下りて所縁《しょえん》の家へ、余は青山で下りて兄の家に往った。
寝入り端《ばな》と見えて、門を敲《たた》けど呼べど叫べど醒めてくれぬ。つい近所に姪《めい》の家があるが、臨月近い彼女を驚かすのも面白くない。余は青山の通を御所《ごしょ》の方へあるいて、交番に巡査を見出し、其指図で北町裏の宿屋を一二軒敲き起した。寤めは寤たが、満員と体の好い嘘《うそ》を云って謝絶された。
電車はとくに寝に往って了った。夜が明けたら築地の病院に腫物《しゅもつ》を病《や》んで入院して居る父を見舞うつもりで、其れ迄新橋停車場の待合室にでも往って寝ようと、月明りと電燈瓦斯の光を踏んで、ぶら/\溜池の通を歩いて新橋に往った。往って見ると此は不覚《ふかく》、扉《と》がしまって居る。駅夫《えきふ》に聞くと、睡むそうな声して、四時半まではあけぬと云う。まだ二時前である。
電燈ばかり明るくてポンペイの廃墟《はいきょ》の様に寂《さび》しい銀座の通りを歩いて東へ折れ、歌舞伎座前を築地の方へ往った。万年橋の袂《たもと》に黙阿弥の芝居に出て来そうな夜啼《よなき》饂飩《うどん》が居る。夜は丑満《うしみつ》頃《ごろ》で、薄寒くもあり、腹も減《へ》った。
「おい、饂飩を一つくれんか」
「へえ」
灯《ひ》の蔭から六十近い爺《おやじ》が顔を出して一寸余を見たが、直ぐ団扇《うちわ》でばたばたやりはじめた。後の方には車が二台居る。車夫の一人は鼾《いびき》をかいて居る。一人は蹴込《けこみ》に腰を据《す》えて、膝かけを頭からかぶって黙って居る。
「へえ、出来ました」
割箸《わりばし》を添えて爺が手渡す丼《どんぶり》を受取って、一口《ひとくち》啜《すす》ると、腥《なまぐさ》いダシでむかッと来たが、それでも二杯食った。
「おい、もう二つこさえて呉れ」
余は代を払い、「ドウモ御馳走様! おい、旦那が下さるとよ」と車夫が他の一人を呼びさます声を聞き
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