十一時|雑煮《ぞうに》。東京仕入の種物《たねもの》沢山で、頗《すこぶる》うまい。長者気《ちょうじゃき》どりで三碗|代《か》える。尤も餅《もち》は唯三個。
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朝は晴、やがて薄曇《うすぐも》って寒かったが、正午頃《しょうごころ》からまた日が出て暖《あたたか》になった。
自家《うち》は正月元日でも、四囲《あたり》が十二月一日なので、一向正月らしい気もちがせぬ。年賀に往く所もなく、来る者も無い。
デデンがぶらりと遊びに来た。デデンは唖の巳代吉《みよきち》が事である。唖で口が利けぬが、挨拶《あいさつ》をする場合には、デデンと云う声を出す。彼は姦淫《かんいん》の子である。戸籍面《こせきめん》の父は痴《おろか》で、母は莫連者《ばくれんもの》、実父は父の義弟《ぎてい》で実は此村の櫟林《くぬぎばやし》で拾《ひろ》われた捨子《すてご》である。捨てた父母は何者か知らぬが、巳代吉が唖ながら心霊《しんれい》手巧《しゅこう》職人風のイナセな容子を見れば、祖父母の何者かが想像されぬでもない。巳代吉は三歳《みっつ》までは口をきいた。ある日「おっかあ、お湯が呑みてえ」と呼んだきり唖となった。何ものが彼の舌を縛《しば》ったか。同じ胤《たね》と云う彼の弟も盲であるのを見れば、梅毒《ばいどく》の遺伝もあろう。父母の心の咎《とがめ》も与《あずか》って力あるかも知れぬ。兎に角彼は唖になった。
「イエス行く時、生来《うまれつき》なる瞽《めくら》を見しが、其弟子彼に問ふて曰ひけるは、ラビ、此人の瞽に生れしは誰の罪なるや、己に由るか、又二親に由るか。イエス答へけるは、此人の罪に非ず、亦其二親の罪にもあらず、彼に由て神の作為《わざ》の顕はれん為也。此事を言ひて地に唾《つば》きし、唾にて土を和《と》き、其泥を瞽者《めしひ》の目に塗《ぬ》り、彼に曰ひけるは、シロアム[#「シロアム」に二重傍線]の池に往きて洗《あら》へ。彼則ち往きて洗ひ、目見ることを得て帰れり。」
耶蘇《やそ》程《ほど》の霊力《れいりょく》があるなら、巳代吉の唖は屹度《きっと》癒《なお》る。年来《ねんらい》眼の前に日々此巳代吉に現《あら》わるゝ謎《なぞ》を見ながら、哀《かな》しいかな不信《ふしん》軽薄《けいはく》の余には、其謎を解《と》き其舌の縛《しばり》を解く能力《ちから》が無い。彼がデデンと呼んで来れば、デデンと応
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