頭《あたま》をすりつける様にして行く。関翁と余と其あとから此さまを眺めつゝ行く。斯くて午後二時|駅逓《えきてい》に帰った。
関翁は過日来|足痛《そくつう》で頗《すこぶる》行歩《ぎょうぶ》に悩《なや》んで居られると云うことをあとで聞いた。それに少しも其様な容子《ようす》も見せず、若い者|並《なみ》に四里の往復は全く恐れ入った。
此夕|台所《だいどこ》で大きな甘藍《きゃべつ》を秤《はかり》にかける。二貫六百目。肥料もやらず、移植《いしょく》もせぬのだから驚く。関翁が家の馳走《ちそう》で、甘藍の漬物《つけもの》に五升藷《ごしょういも》(馬鈴薯《じゃがいも》)の味噌汁《みそしる》は特色である。斗満で食った土のものゝ内、甘藍、枝豆《えだまめ》、玉蜀黍《とうもろこし》、馬鈴薯、南瓜《とうなす》、蕎麦《そば》、大根《だいこ》、黍《きび》の餅《もち》、何れも中々味が好い。唯|真桑瓜《まくわうり》は甘味が足らぬ。
九月二十九日。晴。
今日は余等三人余作君及貢君の案内で、放牧場の農家を見に出かける。阪を上って放牧場の埒外《らちそと》を南へ下り、ニタトロマップの細流《さいりゅう》を渡り、斗満殖民地入口と筆太《ふでぶと》に書いた棒杭《ぼうぐい》を右に見て、上利別《かみとしべつ》原野《げんや》に来た。野中《のなか》、丘《おか》の根《ね》に、ぽつり/\小屋が見える。先ず鉄道線路を踏切って、伏古古潭《ふしここたん》の教授所を見る。代用小学校である。型《かた》の如き草葺《くさぶき》の小屋、子供は最早帰って、田村《たむら》恰人《まさと》と云う五十余の先生が一人居た。それから歩を返えして、利別《としべつ》川辺《かわべ》に模範《もはん》農夫《のうふ》の宮崎君を訪う。矢張草葺だが、さすがに家内何処となく潤《うるお》うて、屋根裏には一ぱい玉蜀黍をつり、土間には寒中|蔬菜《そさい》を囲《かこ》う窖《あなぐら》を設け、農具《のうぐ》漁具《ぎょぐ》雪中用具《せっちゅうようぐ》それ/″\掛《か》け列《なら》べて、横手《よこて》の馬小屋には馬が高く嘶《いなな》いて居る。苦《にが》い茶《ちゃ》を点《い》れて、森永《もりなが》のドロップスなど出してくれた。余等は注文《ちゅうもん》してもぎ立ての玉蜀黍を炉《ろ》の火で焼いてもらう。主《あるじ》は岡山県人、四十余の細作《ほそづく》りな男、余作君に過日《こないだ》の薬《
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