た。まさか忍び返えしのソギ竹を黒板塀の上に列べたり、煉瓦塀《れんがべい》上《うえ》に硝子の破片を剣の山と植《う》えたりはせぬつもりだが、何、程度《ていど》の問題だ、これで金でも出来たら案外|其様《そん》な事もやるであろうよ。

       二

 畑の物は可なり出来る。昨年は陸穂《おかぼ》の餅米が一俵程出来たので、自家で餅を舂いた。今年は大麦三俵|籾《もみ》で六円なにがしに売った。田園生活をはじめてこゝに六年、自家の作物が金になったのは、此れが皮切だ。去年は月に十日|宛《ずつ》きまった作男を入れたが、美的百姓と真物《ほんもの》の百姓とは反《そ》りが合わぬ所から半歳足らずで解雇《かいこ》してしまい、時々近所の人を傭ったり、毎日仕事に来る片眼のおかみを使って居る。自分も時々やる。少し労働をやめて居ると、手が直ぐ綺麗《きれい》になり、稀に肥桶を担《かつ》ぐと直ぐ肩が腫《は》れる。元来物事に極不熱心な男だが、其れでも年の功だね、畑仕事も少しは上手になった。最早《もう》地味《ちみ》に合わぬ球葱《たまねぎ》を無理に作ろうともせぬ。最早胡麻を逆につるして近所の笑草にもならぬ。甘藷苗の竪植《たてうえ》もせぬ。心《しん》をとめるものは心をとめ、肥料のやり時、中耕の加減《かげん》も、兎やら角やら先生なしにやって行ける。毎年|儂《わし》は蔬菜《そさい》花卉《かき》の種《たね》を何円《なんえん》と云う程買う。無論其れ程の地積《ちせき》がある訳《わけ》でも必要がある訳でも無いが、種苗店の目録を見て居るとつい買いたくなって買うのだ。蒔《ま》いてしまうのも中々骨だから、育《そだ》ったら事だが、幸か不幸か種の大部分は地に入《はい》って消えて了う。其度毎《そのたびごと》に種苗店の不徳義、種子の劣悪《れつあく》を罵《ののし》るが、春秋の季節になると、また目録をくって注文をはじめる。馬鹿な事さ。然し儂等は趣味空想に生きて、必しも結果《けっか》には活きぬ。馬鹿な事をしなくなったら、儂が最後だ。
 時の経《た》つは速いものだ。越《こ》した年の秋実を蒔いた茶が、去年あたりから摘《つ》め、今年は新茶が可なり出来た。砂利を敷いたり剪枝をしたり苦心の結果、水蜜桃も去年あたりから大分喰える。苺《いちご》は毎年移してばかり居たが、今年は毎日|喫飽《くいあき》をした上に、苺のシイロップが二|合瓶《ごうびん》二十余出来た
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