一つ。床には小杉《こすぎ》榲邨《おんそん》の「淡きもの味はへよとの親こゝろ共にしのびて昔かたらふ」と書いた幅を掛けてある。翁は今日も余等が寝て居る内に、山から引いた氷の様な水を浴び、香を焼《た》いて神明に祈り、机の前に端座《たんざ》して老子を読んだのである。老子は翁の心読書、其についでは創世記、詩篇、約百記《ヨブき》なぞも愛読書目の中にある。アブラハム、ヤコブなぞ遊牧族《ゆうぼくぞく》の老酋長の物語は、十勝の山中に牛馬と住む己《わ》が境涯に引くらべて、殊に興味が深いのであろう。
落《おち》つけよとの雨が終日降りくらす。翁の室と板廊下一つ隔てた街道側の八畳にくつろいで居ると、翁は菓子、野葡萄、玉蜀黍、何くれと持て来ては鶴子にも余等にも与え、小さな炉を中に、黒い毛繻子の前掛の膝をきちんと座って、さま/″\の話をする。昔からタヾの医者でなかった翁の所謂灌水は単に身体の冷水浴をのみ意味せぬ如く、治術も頗活機に富んだもので、薬でなくてはならぬときめこんだ衆生の為に、徳島に居た頃は不及飲《ふぎゅういん》と云う水薬を調合し、今も待効丸と云う丸薬を与えるが、其れが不思議によく利《き》くそうだ。然し翁の医術はゴマカシではない。此を見てくれとさし出す翁の右手をよく見れば、第三指の尖《さき》が左の方に向って鉤形《かぎなり》に曲って居る。打診《だしん》に精神がこもる証拠だ。乃公《わし》の打診は何処をたゝいても患者の心臓《しんぞう》にピーンと響く、と云うのが翁の自慢である。やがて翁は箱の様なものを抱《かか》えて来た。関家の定紋九曜を刳《く》りぬいた白木の龕《がん》で、あなたが死ぬ時一処に牧場《ぼくじょう》に埋めて牛馬の食う草木を肥やしてくれと遺言した老夫人の白骨は、此中に在るのだ。翁も夫人には一目置いて、婆は自分よりエラかったと口癖の様に云う。それから五郎君の噂が出る。五郎君は翁の末子である。明治三十九年の末から四十年の始にかけ、余は黒潮《こくちょう》と云う手紙代りの小さな雑誌を出したが、其内田舎住居をはじめたので、三号迄も行かぬ二号雑誌に終った。あとを催促の手紙が来た中に、北海道|足寄《あしょろ》郵便局の関五郎と云う人もあって、手紙に添えて黒豆なぞ送って来た。通り一遍の礼状を出したきり、関とも五郎とも忘れて居ると、翌年関又一と云う人から五郎君死去の報が来た。形式的に弔詞は出したが、何れの
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