は人の子を殺した苛責《かしゃく》を劇しく身に受け、唯黙って辞儀ばかりした。
やがて酒が出た。彼は平生一滴も飲まぬが、今日はせめてもの事に阿爺《おとうさん》阿母《おかあさん》と盃の取りやりをしるしばかりした。岩倉家では丁度十四になる末から三番目の女を、阿母の実家にやる約束をして、其祝いをして居る所にお馨さんの訃報《ふほう》が届いたのだそうだ。丁度お馨さんが米国で亡くなった其晩に、阿母さんが玄関の式台に靴の響《おと》を聞きつけ、はッとして出て見たら誰も居なかったそうである。魂《たましい》の彼女は其時早く太平洋を渡って帰って来たのであった。
彼はお馨さんの兄さんと共に葛城家へ往ってあとの相談をすることにした。阿爺さんは是非新築中の別荘を見て呉れと云って、草履《ぞうり》をつッかけて案内に立った。酒ぶとりした六十翁の、溝《みぞ》を刎《は》ね越え、阪を駈《か》け上る元気は、心の苦から逃《のが》れようとする犠牲のもがきの様で、彼の心を傷《いた》ませた。やがて別荘に来た。其は街道の近くにある田圃の中の孤丘《こきゅう》を削《けず》って其上に建てられた別荘で、質素な然し堅牢《けんろう》なものであった。西には富士も望まれた。南には九十九里の海――太平洋の一片が浅黄《あさぎ》リボンの様に見える。お馨さんは去年此処の海を犬吠ヶ崎の方へ上って米国に渡ったのである。「如何です、海が見えましょう。馨が見えるかも知れん」と主翁《しゅおう》が云う。広々とした座敷を指して、「葛城さんが帰って来たら、此処《ここ》で祝言《しゅうげん》させようと思って居ました」と主翁がまた云う。
彼は一々胸に釘うたるゝ思であった。
八
お馨さん死去の電報に接して二週間目の二月十六日、午餐《ごさん》の席に郵便が来た。彼此と撰《よ》り分けて居た妻は、「あらッ、お馨さんが」と情けない声を立てた。
其はお馨さんが亡くなる二週間余り前のはがきであった。
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新年をことほぎ参《まい》らせ候。
御正月になりましたら、精《くわし》い御手紙を認《したた》めたいと思うて思うて居りましたが、御正月も元旦からいつもと同じに働いて休みなどは取れませんでしたから、つい/\御無沙汰いたしました。随分久しく御無沙汰申上ました。御許様《おんもとさま》御家内皆々様には御変りも御座いませんか。私はいつもながら達者
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