も飲まぬが、彼は色にはタワイもなく酔う。曾て戯れにある人のはがき帖《じょう》に、
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此身|蝶《てふ》にもあるまじけれど
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わけもなくうれしかりけり日は午《ご》なる
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真夏《まなつ》の園《その》の花のいろ/\
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三
変化の鮮やかは夏の特色である。彼の郷里熊本などは、昼間《ひるま》は百度近い暑さで、夜も油汗《あぶらあせ》が流れてやまぬ程|蒸暑《むしあつ》い夜が少くない。蒲団《ふとん》なンか滅多に敷かず、蓙《ござ》一枚で、真裸に寝たものだ。此様《こんな》でも困る。朝顔の花一ぱいにたまる露の朝涼《ちょうりょう》、岐阜《ぎふ》提灯《ちょうちん》の火も消えがちの風の晩冷《ばんれい》、涼しさを声にした様な蜩《ひぐらし》に朝涼《あさすず》夕涼《ゆうすず》を宣《の》らして、日間《ひるま》は草木も人もぐったりと凋《しお》るゝ程の暑さ、昼夜の懸隔《けんかく》する程、夏は好いのである。
ヒマラヤ[#「ヒマラヤ」に二重傍線]を五《いつつ》も積み重ねた雲の峰が見る間に崩《くず》れ落ちたり、濃《こ》いインキの一点を天の一角にうった雲が十分間に全天空《ぜんてんくう》を鼠色に包んだり、電を閃《ひらめ》かしたり、雹《ひょう》を撒《ま》いたり、雷を鳴らしたり、夕立になったり、虹《にじ》を見せたり。而《そう》して急に青空になったり、分秒を以てする天空の変化は、眼にもとまらぬ早わざである。夏の天に目ざましい変化があれば、夏の地にも鮮やかな変化がある。尺を得れば尺、寸を獲《う》れば寸と云う信玄流《しんげんりゅう》の月日を送る田園の人も、夏ばかりは謙信流《けんしんりゅう》の一気呵成《いっきかせい》を作物の上に味《あじ》わうことが出来る。生憎《あいにく》草も夏は育つが、さりとて草ならぬものも目ざましく繁《しげ》る。煙管《きせる》啣《くわ》えて、後手《うしろで》組んで、起きぬけに田の水を見る辰《たつ》爺《じい》さんの眼に、露だらけの早稲《わせ》が一夜に一寸も伸びて見える。昨日花を見た茄子《なす》が、明日はもうもげる。瓜の蔓《つる》は朝々伸びて、とめてもとめても心《しん》をとめ切れぬ。二三日打っちゃって置くと、甘藷《さつまいも》の蔓は八重がらみになる。如何に一切を天道様に預けて、時計に用がない百姓でも、時に
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