さつ》として松風の如く心耳《しんじ》一爽《いっそう》の快を先ず感じて、尻《しり》高々とからげ、下駄ばきでざぶ/\渡って見たりして、其日|限《ぎ》りに水が落ちて了うのを毎《つね》に残念に思うのである。兎に角此気まぐれな小川でも、これあるが為に少しは田も出来る。堤《つつみ》の萱《かや》や葭《よし》は青々と茂《しげ》って、殊更《ことさら》丈《たけ》も高い。これあるが為に、夏は螢《ほたる》の根拠地《こんきょち》ともなる。朝から晩までべちゃくちゃ囀《さえず》る葭原雀《よしわらすずめ》の隠れ家《が》にもなる。五月雨《さみだれ》の夜にコト/\叩《たた》く水鶏《くいな》の宿にもなる。
 八幡|田圃《たんぼ》を流るゝ田川の大きな方を、此辺では大川と云う。一間|幅《はば》しかない大川で、玉川|浄水《じょうすい》を分った灌漑用水である。此水あるが為に、千歳村から世田《せた》ヶ谷《や》かけて、何百町の田が出来る。九十一歳になる彼の父は、若い頃は村吏《そんり》県官《けんかん》として農政には深い趣味と経験を有って居る。其子の家に滞留中此田川の畔《くろ》を歩いて、熟々《つくづく》と水を眺め、喟然《きぜん》として「仁水《じんすい》だ喃《なあ》」と嘆じた。趣味を先ず第一に見る其子の為にも不仁の水とは云われない。此水あるが為に田圃がある。春は紫雲英《れんげそう》の花氈《はなむしろ》を敷く。淋しい村を賑《にぎ》わして蛙《かわず》が鳴く。朝露白い青田の涼しさも、黄なる日の光を震わして蝗《いなご》飛ぶ秋の田の豊けさに伴うさま/″\の趣も、此水の賜ものである。こゝにこの水流るゝがために、水を好む野茨《のばら》も心地《ここち》よく其の涯《ほとり》に茂って、麦が熟《う》れる頃は枝も撓《たわ》に芳《かんば》しい白い花を被《かぶ》る。薄紫の嫁菜《よめな》の花や、薄紅の犬蓼《いぬたで》や、いろ/\の秋の草花も美しい。鮒《ふな》や鰌《どじょう》を子供が捕る。水底《みなそこ》に影を曳《ひ》いて、メダカが游《およ》ぐ。ドブンと音して蛙が飛び込む。稀《まれ》にはしなやかな小さな十六盤橋《そろばんばし》を見せて、二尺五寸の蛇が渡る。田に入るとて水を堰《せ》く頃は、高八寸のナイヤガラが出来て、蛙の声にまぎらわしい音を立てる。玉川に行くかわりに子供はこゝで浴びる。「蘆の芽や田に入る水も隅田川」然《そう》だ。彼の村を流るゝ田川も、やは
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