ようだね、ねえ先生」
「東京は東京、粕谷は粕谷流で行こうじゃねえか」と誰やらの声。
「炬火が一番先だよ」
「応、然《そう》だ、炬火が一番先だ」
 白無垢《しろむく》を着た女達が、縁から下りて草履をはいた。其草履は墓地でぬぎ棄てるので、帰途《かえり》の履物《はきもの》がいる。大きな目籠《めかご》に駒下駄も空気草履も泥だらけの木履も一つにぶち込んで、久さんが背負《せお》って居る。
「南無阿弥陀《なむあみだ》ァ仏《ぶつ》」
 辰爺さんが音頭《おんど》をとりながら先に立つ。鉦がガァンと鳴る。講中《こうじゅう》が「南無阿弥陀ァ仏」と和する。鉦、炬火、提灯、旗、それから兵隊帰りの喪主《もしゅ》が羽織袴で位牌を捧《ささ》げ、其後から棺を蔵《おさ》めた輿《こし》は八人で舁《か》かれた。七さんは着流《きなが》しに新しい駒下駄で肩を入れて居る。此辺には滅多に見た事も無い立派な輿だ。白無垢の婦人、白衣の看護婦、黒い洋服の若い医師、急拵《きゅうごしら》えの紋を透綾《すきや》の羽織に張《は》った親戚の男達、其等が棺の前後に附添うた。大勢の子供や、子守が跟《つ》いて来る。婆さんかみさんが皆出て見る。
 昨夜《ゆうべ》の豪雨《ごうう》は幸にからり霽《は》れて、道も大抵乾いて居る。風が南からソヨ/\吹いて、「諸行無常」「是生滅法」の紙幟《はた》がヒラ/\靡《なび》く。「南無阿弥陀ァ仏――南無阿弥陀ァ仏」単調《たんちょう》な村の哀《かなしみ》の譜《ふ》は、村の静寂の中に油の様に流れて、眠れよ休めよと云う様に棺を墓地へと導く。
 葬列は滞《とどこおり》なく、彼が家の隣の墓地に入った。此春墓地拡張の相談がきまって、三|畝《せ》余《あま》りの小杉山を拓《ひら》いた。其杉を買った故人外二名の人々が、大きな分は伐《き》って売り、小さなのは三人で持って来て彼の家に植えてくれた。其れは唯三月前の四月の事であった。其れから最早墓が二つも殖えた。二番目が寺本さんである。
 墓地の樒《しきみ》の木に障《さわ》るので、若い洋服の医師が手を添えて枝を擡《もた》げたりして、棺は掘られた墓の前に据えられた。輿を解くのが一仕事、東京から来た葬儀社の十七八の若者は、真赤になってやっと輿をはずした。白木綿《しろもめん》で巻かれた柩《ひつぎ》は、荒縄《あらなわ》で縛《しば》られて、多少の騒ぎと共に穴の中に下《おろ》された。野良番は鍬《
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