をつけ込んで、近郷近在の破落戸《ならずもの》等が借金に押しかけ、数千円は斯くして還らぬ金となった。彼の家には精神病の血があった。彼も到頭遺伝病に犯された。其為彼の妻は彼と別居した。彼は其妻を恋いて、妻の実家の向う隣の耶蘇教信者の家《うち》に時々来ては、妻を呼び出してもろうて逢うた。彼の臨終の場にも、妻は居なかった。此時彼女の魂はとく信州にあったのである。彼女の前夫が死んで、彼女が信州に奔る時、彼女の懐には少からぬ金があった。実家の母が瞋《いか》ったので、彼女は甲府まで帰って来て、其金を還した。然し其前彼女は実家に居る時から追々《おいおい》に金を信州へ送り、千曲川の辺の家《うち》も其れで建てたと云うことであった。
*
彼夜彼女が持《も》て来てくれたほおずきは、あまり見事《みごと》なので、子供にもやらず、小箪笥《こだんす》の抽斗《ひきだし》に大切にしまって置いたら、鼠が何時の間にか其《その》小箪笥を背《うしろ》から噛破って喰ったと見え、年《とし》の暮《くれ》に抽斗をあけて見たら、中実《なかみ》無しのカラばかりであった。
年々《ねんねん》酸漿《ほおずき》が紅くなる頃になると、主婦はしみ/″\彼女を憶《おも》い出すと云うて居る。
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碧色の花
色彩の中で何色《なにいろ》を好むか、と人に問われ、色彩について極めて多情な彼《かれ》は答に迷うた。
吾墓の色にす可き鼠色《ねずみいろ》、外套に欲しい冬の杉の色、十四五の少年を思わす落葉松の若緑《わかみどり》、春雨を十分に吸うた紫《むらさき》がかった土の黒、乙女の頬《ほお》に匂《にお》う桜色、枇杷バナナの暖かい黄、檸檬《れもん》月見草《つきみそう》の冷たい黄、銀色の翅《つばさ》を閃かして飛魚の飛ぶ熱帯《ねったい》の海のサッファイヤ、ある時は其面に紅葉を泛《うか》べ或時は底深く日影金糸を垂《た》るゝ山川の明るい淵《ふち》の練《ね》った様な緑玉《エメラルド》、盛り上り揺《ゆ》り下ぐる岩蔭の波の下《した》に咲く海アネモネの褪紅《たいこう》、緋天鵞絨《ひびろうど》を欺く緋薔薇《ひばら》緋芥子《ひげし》の緋紅、北風吹きまくる霜枯の野の狐色《きつねいろ》、春の伶人《れいじん》の鶯が着る鶯茶、平和な家庭の鳥に属する鳩羽鼠《はとはねずみ》、高山の夕にも亦やんごとない僧《そう》の衣にもある水晶に
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