って、戸を締めないで置くもんだから不用心で仕様が無いって。」
「へーえッ! あの婆さんが、そう言った。※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]だ! 年寄に其様なことが、一々分る道理《わけ》が無いもの。」
「それでも、お母さんが、そう言ったって。お母さんですよ。違やあしませんよ。……あれで矢張し吾が娘《こ》に関したことだから、幾許《いくら》年を取っていても、気に掛けているんでしょうよ、……何うしても雪岡という人は駄目だから、お前も、もう其の積りでいるが好いって、お雪さんに、そう言っていたそうですよ。」
「へーえッ! そうですかなあ! 本当に済まないなあ!」私は真《しん》から済まないと思った。
「ですからお雪さんだって、あなたの動静《ようす》を遠くから、あゝして見ているんですよ。嫁《かたづ》いてなんかいやしませんよ。」
「そうでしょうか?」
「そうですよ。それに違いありませんよ……此の間も私の話を聞いて、お雪さん、独りで大層笑っていましたっけ……私が、『お雪さん、雪岡さんがねえ。時々私の家《ところ》へ来ては、婆やのように、おばさん/\と、くさやで、お茶漬を一杯呼んで下さいと言って、自家《うち》に無ければ、自分で買って来て、それを私には出来ないから、おばさんに焼いて、むしってくれって、箸を持ってちゃんと待っているのよ。』と言ったら、お雪さんが、『まあ! 其様なことまでいうの? 本当に雪岡には呆れて了う。おばさんを捉《つかま》えて私に言う通りに言っているのよ。』と独りではあはあ[#「はあはあ」に傍点]言って笑っていましたよ。」と婆さんは、言葉に甘味《うまみ》を付けて、静かに微笑《わら》いながら、そう言った。
 私も「へーえ、お雪公、其様なことを言っていましたか。」と言いながら笑った。
 淫売婦《いんばい》と思えば汚いけれどお宮は、ひどく気に入った女だったが、彼女《あれ》がいなくなっても、お前が時々、矢来《ここ》へ来て其様なことを言って、婆さんと、蔭ながらでも私の噂をしているかと思えば、思い做しにも自分の世界が賑かになったようで、お宮のことも諦められそうな気持がして、
「矢張り何処に居るとも言いませんでしたか。」
 と、訊ねて見たが、婆さんも、
「言わないッ! 何処にいるか、それだけは私が何と言って聞いても、『まあ/\それだけは。』と言って何うしても明さない。」
 と、さも/\其れだけは、力に及ばぬように言う。
 そうなると、矢張り私の心元なさは少しも減じない。それからそれへと、種々《いろん》なことが思われて、相変らず心の遣りばに迷いながら、気抜けがしたようになって、またしても、以前のように何処という目的《あて》もなく方々歩き廻った。けれどもお宮という者を知らない時分に歩き廻ったのとはまた気持が大分違う。寂しくって物足りないのは同じだが、その有楽座の新口村を聴いてから、あの「……薄尾花《すすきおばな》も冬枯れて……」と、呂昇の透き徹るような、高い声を張り上げて語った処が、何時までも耳に残っていて、それがお宮を懐かしいと思う情《こころ》を誘《そそ》って、自分でも時々可笑いと思うくらい心が浮《うわ》ついて、世間が何となく陽気に思われる。私は湯に入っても、便所に行っても其処を口ずさんで、お宮を思っていた。
 明後日《あさって》までに何とか定《き》めて了わなければならぬ、と、言っていたから、二日ばかりは其様《そん》な取留めもないことばかりを思っていたが、丁度その日になって、日本橋の辺を彷徨《うろうろ》しながら、有り合せた自動電話に入って、そのお宮のいる沢村という家へ聞くと、お宮は居なくて、主婦《おかみ》が出て、
「えゝ、宮ちゃん。そういうことを言うにゃ言っていたようですけれど、まだ急に何処へも行きゃしないでしょう。荷物もまだ自家《うち》に置いているくらいですもの。……ですから、御安心なさい、また何うか来てやって下さい。」と、流石に商売柄、此方《こちら》から正直に女から聞いた通りを口に出して訊ねて見ても、其様な悪い情夫《おとこ》の付いていることなんか、少しも知らぬことのように、何でもなく言う。
 兎に角、そう言うから、じゃお宮という女|奴《め》、何を言っているのか、知れたものじゃない、と思いもしたが、まだ何処へも行きゃしないというので安心した。斯うしてブラ/\としていても、まだ心の目的《あて》の楽しみがあるような気がする。けれども其処にいるとすれば、何れ長田のことだから、此の間も、あの「本当に何処かへ行くか知らん?」と言っていた処を見ると、遣って行くに相違ない。その他|固《もと》より種々《いろん》な嫖客《きゃく》に出る。これまでは其様なことが、そう気にならなかったが、しごきをくれた心が忘れられないばかりではない、あれからは女が自分の物の
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