戯は長田のしそうなことではない。……碌に銭《かね》も持たないで長居をするなどは、誰れに話したって、自分が悪い。それに就いて人は怨まれぬ。が、あの手紙を書いた長田の心持は、忌々《いまいま》しさに、打壊《ぶちこわ》しをやるに違いない。何ういう心であるか、余処《よそ》ながら見て置かねばならぬ。もし間違って、此方《こちら》の察した通りでなかったならば、其れこそ幸いだが。それにしても、他人《ひと》との間に些《ちょっ》とでも荒立った気持でいるのは、自分には斯う静《じっ》と独りでいても、耐《こら》えられない。兎に角行って様子を見よう。自家にいても何だか心が落着かぬ。
と、また出て長田の処に行った。
長田は、もう一と月も前《さき》から、目白坂の、あの、水田の居たあとの、二階のある家に越して来ていたから、行くには近かった。――長田は言うに及ばず、その水田でも前に言った△△新聞社の上田でも、村田でも、其の他これから後で名をいう人達も、凡てお前の一寸でも知っている人ばかりだ。――
長田は、丁度居たが、二階に上って行くと、平常《いつも》は大抵|此方《こちら》から何か知ら、初め口を利くのが、その時は、長田に似ず、何か自分で気の済まぬことでも、私に仕向けたのを笑いで間切らすように、些《ちょっ》と顔に愛嬌をして、
「今日も少し使者《つかい》の来るのが遅かったら、好かったんだが、……明日《あす》でも自分で社に行くと可い。」と言う。
「うむ。なに、一寸相変らずまた小遣が無くなったもんだから。」と、私は、何時も屡《よ》くいう通りに言って、何気なく笑っていた。すると、長田は、意地悪そうな顔をして、
「他人《ひと》が使う銭《かね》だから、そりゃ何に使っても可い理由《わけ》なんだ。……何に使っても可い理由なんだ。」と、私に向って言うよりも、自分の何か、胸に潜んでいることに向って言っているように、軽く首肯《うなず》きながら言った。
私は、「妙なことを言う。じゃ確適《てっきり》と此方で想像した通りであった。」と腹で肯《うなず》いた。が、それにしても、彼様《あん》なことをいう処を見れば、今朝の使者が何処から行ったということを長田のことだから、最う見抜いているのではなかろうか、とも思いながら、俺が道楽に銭を遣うことに就いて言っているのだろう、それは飲み込んでいる、というように、
「はゝゝ。」と私は抑えた笑い方をして、それに無言の答えをしていた。けれども何処から使者が行ったかは気が付いていないらしい。
けれども、お宮はあの通り隠れると言ったから、本当にいなくなるかも知れぬ。若し矢張りいるにしても、いなくなると言って置いた方が事がなくって好い。無残々々《むざむざ》と人に話すには、惜いような昨夕《ゆうべ》であったが、寧《いっ》そ長田に話して了って、岡嫉きの気持を和《やわら》がした方が可い。と私は即座に決心して、
「例のは、もう居なくなるよ。二三日《にさんち》あと一寸《ちょいと》行ったが、彼女《あれ》には悪い情夫《おとこ》が付いている。初め大学生の処に嫁に行っていたなんて言っていたが、まさか其様《そん》な事は無いだろうと思っていたが、その通りだった。その男を去年の十二月から、つい此間《こないだ》まで隠れていたんだが、其奴がまた探しあてて出て来たから二三日中にまた何処かへ隠れねばならぬ、と言って記念に持っていてくれって僕に古臭いしごき[#「しごき」に傍点]なんかをくれたりした。……少しの間面白い夢を見たが、最早《もう》覚めた。あゝ! あゝ! もう行かない。」
笑い/\、そう言うと、長田は興ありそうに聞いていたが、居なくなると言ったので初めて、稍《やや》同情したらしい笑顔になって、私の顔を珍らしく優しく見戍《みまも》りながら、
「本当に、一寸だったなあ。……そういうようなのが果敢き縁《えにし》というのだなあ!」
と、私の心を咏歎するように言った。私もそれにつれて、少しじめ/\した心地になって、唯、
「うむ!」と言っていると、
「本当にいなくなるか知らん? そういうような奴は屡《よ》くあるんだが、其様なことを言っても、なか/\急に何処へも行きゃしないって。……そうかと思っていると、まだ居ると思った奴が、此度行って見ると、もういなくなっている、なんて言うことは屡くあることなんだから。」と、長田は自分の従来《これまで》の経験から割り出したことは確だと、いうように一寸首を傾けて、キッとした顔をしながら半分は独言のように言った。
私は、凝乎《じっ》と、その言葉を聞きながら顔色を見ていると、
「その内是非一つ行って見てやろう。」という心が歴々《ありあり》と見える。
「或はそうかも知れない。」と私はそれに応じて答えた。
暫時《しばらく》そんなことを話していたが、長田は忙しそうであった
前へ
次へ
全30ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング