うに「欽哉々々。」と言っては、「そんな目算《あて》も無いことばかり考えていないで、もっと手近なことを、さっ/\と為《な》さいな!」と、たしなめたしなめした。本当に、自分は、今に、もっと良いことがある、今に、もっと良いことがある、と夢ばかり見ていた。けれども、私を空想家だ空想家だと言った、あのお雪が矢張り空想勝ちな人間であった。「今にあなたが良くなるだろう、今に良くなるだろう、と思っていても何時まで経っても良くならないのだもの。」と、あの晩|彼女《あれ》が言ったことは、自分でも熟※[#二の字点、1−2−22]《つくづく》とそう思ったからであろうが、私には、あゝ言ったあの調子が悲哀《みじめ》なように思われて、何時までも忘れられない。彼女《あれ》も私と一緒に、自分の福運《うん》を只夢を見ていたのだ。私は遂々《とうとう》其の夢を本当にしてやることが出来なかった。七年の長い間のことを、今では、さも、詰らない夢を見て年齢《とし》ばかり取って了った、と、恨んで居るであろう。年々ひどく顔の皺を気にしては、
「私の眼の下の此の皺は、あなたが拵えたのだ。私は此の皺だけは恨みがある。……これは、あの音羽《おとわ》にいた時分に、あんまり貧乏の苦労をさせられたお蔭で出来たんだ。」
と、二三年来、鏡を見ると、時々それを言っていた。……そんなことを思いながら、フッと庭に目を遣ると、杉垣の傍の、笹混りの草の葉が、既《も》う紅葉《もみじ》するのは、して、何時か末枯《すが》れて了っている中に、ひょろ/\ッと、身長《せい》ばかり伸びて、勢《せい》の無いコスモスが三四本わびしそうに咲き遅れている。
これは此の六月の初めに、遂々《とうとう》話が着いて、彼女《あれ》が彼の女中の心配までして置いて、あの関口台町から此家《ここ》へ帰って来る時分に、彼家《あすこ》の庭によく育っていたのを、
「あなた、あのコスモスを少し持って行きますよ。自家《うち》の庭に植えるんですから。」と、それでも楽しそうに言って、箪笥や蒲団の包みと一緒に荷車に載せて持って戻ったのだが、誰れが植えたか、投げ植えるようにしてあるのが、今時分になって、漸《よ》う/\数えるほどの花が白く開いている。
あゝ、そう思えば、あの戸袋の下の、壁際にある秋海棠《しゅうかいどう》も、あの時持って来たのであった。先達て中|始終《しょっちゅう》秋雨《あめ》の降り朽ちているのに、後から後からと蕾を付けて、根《こん》好く咲いているな、と思って、折々眼に付く度に、そう思っていたが、其れは既う咲き止んだ。
六月、七月、八月、九月、十月、十一月と、丁度半歳になる。あの後《あと》、何うも不自由で仕方が無い。夏は何うせ東京には居られないのだから、旅行《たび》をするまでと、言って、また後を追うて此家に暫時《しばらく》一緒になって、それから、七月の十八日であった。いよ/\箱根に二月ばかし行く。それが最後の別れだ、と言って、立つ前の日の朝、一緒に出て、二人の白単衣《しろかたびら》を買った。それを着て行かれるように、丁度盆時分からかけて暑い中を、私は早く寝て了ったが、独り徹夜をして縫い上げて、自分の敷蒲団の下に敷いて寝て、敷伸《しきの》しをしてくれた。朝、眼を覚して見ると、もう自分は起きていて、まだ寝衣《ねまき》のまゝ、詰らなそうに、考え込んだ顔をして、静《じっ》と黙って煙草を吸っていた。もう年が年でもあるし、小柄な、痩せた、標致《きりょう》も、よくない女であったが、あゝ、それを思うと、一層みじめなような気がする。それから新橋まで私を送って、暫時汽車の窓の外に立っていたが、別に話すこともなかった。私の方でも口を利くのも怠儀であった。
「斯うしていても際限《きり》がないから、……私、最早《もう》帰りますよ。じゃこれで一生会いません。」と、傍《あたり》を憚るように、低声《こごえ》で強いて笑うようにして言った。
私は「うむ!」と、唯一口、首肯《うなず》くのやら、頭振《かぶり》を掉《ふ》るのやら自分でも分らないように言った。
それから汽車に乗っている間、窓の枠に頭を凭《もた》して、乗客《ひと》の顔の見えない方ばかりに眼をやって静《じっ》と思いに耽っていた。――彼地《あちら》に行っても面白くないから、それで、またしても戻って来たのだが、斯うしていても、あの年齢を取った、血気《ちのけ》のない、悧巧そうな顔が、明白《ありあり》と眼に見える。……あれから、あゝして、あゝしている間に秋海棠も咲き、コスモスも咲いて、日は流れるように経って了った。……
それにしても、胸に納まらぬのは、あの長田の手紙の文句だ。帰途《かえり》に電車の中でも、勢いその事ばかりが考えられたが、此度のお宮に就いては、悪戯《いたずら》じゃない嫉妬《やきもち》だ。洒落《しゃ》れた唯の悪
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