「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]と真個との見界《みさかい》の付かないような気持をさする女性《おんな》だった。年も初め十九と言ったが、二十一か二にはなっていたろう。心の恐ろしく複雑《いりく》んで、人の口裏を察したり、眼顔を読むことの驚くほどはしこい、それでいてあどけないような、何処までも情け深そうな、たより無気《なげ》で人に憐れを催さすような、※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]を言っているかと思うと、また思い詰めれば、至って正直な処もあった。それ故その身の上ばなしも、前後《あとさき》辻褄の合わぬことも多くって、私には何処までが真個なのか分らない。
 お宮という名前も、また初めての時、下田しまと言った本当の名も、皆その他にまだ幾通かある変名《かえな》の中の一つであった。
「だから故郷《くに》は栃木と言ってるじゃないか。」お宮はうるさそうに言った。
「そうかい。……だって僕はそう聞かなかった。何時か、熊本と言ったのは※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]か、福岡と言っていたこともあったよ。……それらは皆知った男の故郷だろう。」
「そんなことは一々覚えていない。……宇都宮が本当さ!」
「何時東京に出て来たの?」
「丁度、あれは日比谷で焼討のあった時であったから、私は十五の時だ。下谷に親類があって、其処に来ている頃、その直ぐ近くの家に其男《それ》もいて、遊びに行ったり来たりしている間に次第にそういう関係になったの。」
「その人も学校に行っていたんだろうが、その時分何処の学校に行っていたんだ?」
「さあ、よく知らないけれど、師範学校とか言っていたよ。」
「師範学校? 師範学校とは少し変だな。」私は、女がまた出鱈目を云っているのか、それとも、そう思っているのか、と、真個《ほんとう》に教育の有無《あるなし》をも考えて見た。
「でも師範学枚の免状を見せたよ。」
「免状を見せた。じゃ高等であったか尋常であったか。」
「さあ、そんなことは何方《どちら》であったか、知らない。」
「その人は国は何処なんだ。年は幾つ? 何と言うの?」
「熊本。……今二十九になるかな。名は吉村定太郎というの。……それはなか/\才子なの。」
「ふむ。江馬という人と何うだ?」
「そうだなあ、才子という点から言えば、そりゃ吉村の方が才子だ。」
「男振は?」
「男は何方も好いの。」と、普通《あたりまえ》に言った。私は、それを開いて、腹では一寸|妬《や》けた。
「何うも御馳走さま! ……宮ちゃん男を拵えるのが上手と思われるナ。……そりゃまあ、学生と娘と関係するなんか、ザラに世間にあることだから、悪くばかしは言えない。が、其の吉村という人とそんな仲になって、それから何ういう理由《わけ》で、その男を逃げ隠れをするようになったり、またお前が斯様《こん》な処に来るような破目《はめ》になったんだ?」私は、何処までも優しく尋ねた。
「吉村《それ》も道楽者なの。」と、言いにくそうに言った。「あなたさぞ私に愛想が尽きたでしょう。」
「ふむ……江馬さんも温順《おとな》しい、深切な人であったが、下宿屋の娘と食付いたし、吉村さんも道楽者。……成程お前が、何時か『男はもう厭!』と言ったのに無理はないかも知れぬ。……私にしたって、斯うして斯様な処に来るのだから矢張り道楽者に違いない。……が、併しその人は何ういう道楽者か知らないが、道楽者なら道楽者として置いて、君が斯様な処に来た理由が分らないな。私には、私だって、つき合って見れば、此の土地にいる女達《ひとたち》も大凡《おおよそ》何様《どん》な人柄のくらいは見当が付く。先達て私の処に初めて寄越した手紙だって『……、多くの人は、妾等の悲境をも知らで、侮蔑を以って能事とする中《うち》に、流石は、同情を以って、その天職とせる文学者に初めて接したる、その刹那の感想は……』――ねえ、ちゃんと斯う私は君の手紙を諳記しているよ。――その刹那の感想はなんて、あんな手紙を書くのを見ると、何うしても女学生あがりという処だ。何うも君の実家《うち》だって、そう悪い家だとは思われない、加之《それに》宮ちゃんは非常に気位が高い。随分大勢女もいるが、皆な平気で商売しているのに君は自分が悲境にいることをよく知っていて、それほど侮蔑を苦痛に感じるほど高慢な人が、何うして斯様な処に来たの? ……可笑《おかし》いじゃないか。えッ宮ちゃん?」
 けれどもお宮は、それに就いては、唯、人に饒舌《しゃべ》らして置くばかりで、黙っていた。そうして此度は其の男を弁護するかのように、
「そりゃ初めはその人の世話にも随分なるにはなったの。……あなたの処に遣った、その手紙に書いているようなことも、私がよく漢語を使うのも皆其の人が先生のように教育してくれたの。……けれど、学資が
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