そうかと思っていましたわ。……私、文学者とか法学者だとか、そんな人が好き。あなたの名は何というんです?」
「雪岡というんだ。」
「雪岡さん。」と、独り飲込むように言っていた。
「宮ちゃん、年は幾歳《いくつ》?」
「十九。」
十九にしては、まだ二つ三つも若く見えるような、派手な薄|紅葉《もみじ》色の、シッポウ形の友禅縮緬と水色繻子の狭い腹合せ帯を其処に解き棄てていたのが、未だに、私は眼に残っている。
暫時《しばらく》そんな話をしていた。
それから抱占めた手を、長いこと緩めなかった。痙攣が驚くばかりに何時までも続いていた。私はその時は、本当に嬉しくって、腹の中で笑い/\静《じっ》として、先方に自分の全身を任していた。漸《やっ》と私を許してから三四分間経って此度は俯伏しになって、静《そっ》と他《ひと》の枕の上に、顔を以て来て載せて、半ば夢中のようになって、苦しい呼吸《いき》をしていた。私は、そうしている束髪の何とも言えない、後部《うしろ》の、少し潰れたような黒々とした形を引入れられるように見入っていた。
そうして長襦袢と肌襦袢との襟が小さい頸の形に円く二つ重なっている処が堪らなくなて、そっと指先で突く真似をして、
「おい何うかしたの? ……何処か悪いの?」と言って、掌で背《せなか》をサアッ/\と撫でてやった。
すると、女は、
「いえ。」と、軽く頭振《かぶり》を掉《ふ》って、口を圧されたような疲れた声を出して、「極りが悪いから……」と潰したように言い足した。そうして二分間ほどして魂魄《こころ》の脱けたものゝように、小震いをさせながら、揺々《ゆらゆら》と、半分眼を瞑《ねむ》った顔を上げて、それを此方に向けて、頬を擦り付けるようにして、他《ひと》の口の近くまで自分の口を、自然に寄せて来た。そうして復《ま》た枕に顔を斜に伏せた。
私は、最初《はじめ》から斯様な嬉しい目に逢ったのは、生れて初めてであった。
水の中を泳いでいる魚ではあるが、私は急に、そのまゝにして置くのが惜しいような気がして来て、
「宮ちゃん。君には、もう好い情人《ひと》が幾人《いくたり》もあるんだろう。」と言って見た。
すると、お宮は、眼を瞑《ねむ》った顔を口元だけ微笑《え》みながら、
「そんなに他人《ひと》の性格なんか直ぐ分るもんですか。」甘えるように言った。私は性格という言葉を使ったのに、また
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