のごとき勢で双子山との峽の方に吹いて通る。そこの往還から見晴しの茶屋あたりまでのところから仰いだ駒ヶ岳は何ともいへない懷しい姿である。私はそこの駒ヶ岳を最も好む。駒ヶ岳の、さうであるのに反して、その邊から眺めた双子山の南に面したところは、何となく人を脅すやうな感じを與へる。往還から舊東海道の方に向つて深い溪になつてゐて、双子山の裾は美しい一線を長くその方に曳てゐる。そして一面薄をもつて被はれた山膚の處々に凄じい焦黒色をした太古の火山岩が磊々として轉がつてゐて、中には今にも頭のうへから落ちかゝつて來さうな形をしてゐる。そこから仰いだ双子山はたゞ何となく憂欝な恐怖の感に滿ちた山である。昔の所謂箱根八里の峠を越して往來をした旅人の眼にはきつと最も強い印象を殘した山であつたにちがひない。見晴しの茶屋から、幾曲りかせる新道のだらだら坂を元箱根の方に降りていつて、舊街道に沿うた湖畔の八町の杉並木を通り越し、箱根町のところから振顧つて眺めた双子山の形も亦た印象深い容をしてゐる。私は蘆の湯からいつもの櫻のステッキを曳きながら一里ばかりの道を湖水の方に散歩して、そのローマンチックな突兀とした双子山の山容を仰ぎ眺めることを樂みにしてゐた。
 湖水の享樂は限りがないが、私は去年の秋一度箱根町から塔ヶ島の離宮の傍をめぐつて元箱根まで僅かの距離を舟に乘つたことがあつた。嘗ては宮の下から大地獄の方を巡つて湖尻から舟に乘り駒ヶ岳を仰ぎながら箱根町に着いたことがあつたが、それはもう今から十二三年も昔のことで、明瞭な印象が殘つてゐないが、去年の時くらゐ湖水の色を美しいと思つたことはない。それは避暑の客も大方退散した九月の十八日であつた。毎日降りつゞく秋雨に一日湯に入るのと部屋の中に閉籠つてゐるのに倦み果てゝ山の上の人人は頻に天日の輝きを望んでゐた。するとその日になつて空はめづらしく晴れ、拭うたやうな碧空は瑠璃の如く清く輝き、ところ/″\に紗のやうな薄い白雲が漂うてゐるばかり、夏の頃の重く濕つた風とちがひ、爽やかな輕い初秋の風が習々と輕いセルの袖を吹いた。九月になつてからはその方には長く降りてゆかなかつたので、私はあまりの好い天氣に浮かれたやうな心地になつて櫻のステッキを曳きながらぶらぶらと歩いていつた。そしていつもの八町の杉並木を通り拔けて舊關所の趾から箱根町の方へといつた。そこらからが双子山の突兀
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