た。その間に舟は段々元箱根の方に進んでゆくにつれて一としきり杉並木の方にも段々近寄りつゝ通つていつた。さうなると今までの美しさは恰も幻影のごとく次第に減じてきた。元箱根の上の方に突兀としてローマンチックな情景を點出してゐた双子山も段々近づくにつれて、その怪奇な姿から、やゝ平凡な山の形に變つてきた。
私がもし箱根山彙中の峯々によつて異る奇趣妙景について名を選するならば駒ヶ岳は前にいつたやうに夏の姿をもつて最も優れりとする。双子山もこれを蘆の湯の方の西北から仰いだのでは何等の奇景がない。それに反して南面舊街道の溪谷から見上げるか、或は蘆の湯より鷹巣山の方に向つて降つてゆく時、道の右側須雲川の大溪谷に面して長く裾根を曳いてゐる方面が最も雄偉の感じを與へる。それと箱根町の湖畔からやゝ遠く距離を置いて仰いだローマンチックな姿である。新道から須雲川の大溪谷に向つた方面には特に雲嵐矢よりも速く上騰してゐる時を選ぶ。
そして駒ヶ岳の晴天に仰ぐべき山であるに反し、蘆の湯方面より見た聖ヶ岳は、私は殊に雨後の景を好むのである。雨後の空がまだどんより灰白色に曇つてゐる時三千尺の聖ヶ岳は須雲川の溪谷の彼方に屏々として眞鯉の背の如き濃藍色の山膚をくつきりと浮出してゐる。そんな時には眞綿の如き純白の雲が腰から下を横樣に棚曳いたまゝ凝乎と動かずにゐる。それを見てゐると自から氣が澄んで靜かな心持ちにならしめる。さういふ時に耳の近くで蜩の晩涼を告ぐる銀鈴が爽かに響くと、もう堪らなく心が澄んで、名稱し難い希望と感興が湧いてくる。
八月末頃になると駒ヶ岳神山の裾から笛塚山、蓬莱山にかけて見る限り一面の茅原が可愛い淡紅の薄の穗を抽きそめる。それにまじつて女郎花、兜菊、野菊、米蓼、萩などが黄紫とりどりの色彩を添へる。去年蘆の湯にゐる間私の最も多く散歩した處は前いつたやうに双子山の麓を通つて蘆の湖へ降りてゆく新道、蘆の湯から舊道の辨天山の下を通つて池尻に降り茶屋の前で一度新道に出て、それから新道に即《つ》いたり離れたりしながら翠緑鮮かな松林の中を穿つて通じてゐる舊道の細徑を傳うて小涌谷に達する間。それから鷹巣山、笛塚山などへもよく上つていつた。松林の中を分けて舊道を小涌谷の方に歩いて來ると、もうそこら中に女郎花が點々黄色い花をつけてゐる。湯の宿にも客はめつきり減り、道を歩いてゐる人影も眞夏の頃と違ひ甚だ稀
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