れを聞くと、私は、とても箸《はし》にも棒にもかからぬわからずやだとは、承知しているので、もう、なるべく母親とは、何をいわれても、口を利かぬ、相手にもせぬようにしておろうと堪《こら》えていても、やっぱり堪えきれなくなって、私は、上り框に下りかけたまま、
「何をいう」と、そっちを振り顧《かえ》って、「きっと、そんなことだろうと思っているのだ。よし、そんならもういい。もうどんなことがあってもここを立ち退《の》かないのだから、いつまでもここに居据《いすわ》っていましょう。……お隣りの親方、御免なさいよ」と、いって、私はまたもとの座に戻って坐った。
すると越前屋の親方は、
「まあ、ほんなら、兄さんちょっと私のところへ往てとくれやす。私が引き受けて一応お話をしてみますよって。お母はんも、もう、ちょっと静かにしてとくれやす。隣家《となり》が近うおすよって。そのことは私が、後でよう聴かしてもらいます」
と、いって、双方を宥《なだ》めようとする。
それで私はまた物わかりのよい子供のように素直に、隣家の主人のいうことを聴いて、
「それではちょっとお宅へ往ってお邪魔をしていますから、どうぞよろしく頼みます」といって出てゆこうとしながら、じっと女の方をなおよく見ると、平常《ふだん》から大きい美しい眼は、今にも、ちょっと物でも触《さわ》れば、すぐ泣き出しそうに、一層大きくこちらを見張って、露が一ぱい溜《たま》っている。私はその眼に心を残しながら、合壁《あいかべ》の隣家へ入っていった。
四
そこの家《うち》も、女の家と同じ造りで三間《みま》の家であったが、もうこの間から、そのことで、ちょいちょい顔を見合わして、口も利《き》いている七十余りの老婆は酒が好きと思われて中の茶の間の火鉢の前に坐って、手酌《てじゃく》でちびりちびり酒を飲んでいた。もう大分|上機嫌《じょうきげん》になっていたが、見るから一と癖も二た癖もありそうな、癇癪《かんしゃく》の強いぎょろりとした大きな出眼の、額から顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》のあたりが太い筋や皺《しわ》でひきつったようになって、気むずかしいのは、言わずと知れている。
そこには、その老婆のほかに主人の若い女房がいて庭に立ち働いていたり、主人の妹らしい三十くらいと二十《はたち》余りの女が来合わしていたりして、広くもない座に多勢の人間がいるのが、私には自分の年配を考えて、面伏せであったり遠慮であったりした。そして、近づきのない京都三界に来て、そうしたわけでそんな家《うち》の厄介《やっかい》になったりするのが何ともいえず欝屈《うっくつ》であったが、それも思いつめた女ゆえと諦《あきら》めていた。私は悄然としながら、案内せられるままにそちらに通ると、座蒲団《ざぶとん》を持って来てすすめたり、手焙《てあぶ》りに火を取り分けて出したりしながら、
「どうぞそないに遠慮せんと、寒うおすよって、ずっと大きな火鉢の方に寄っとおくれやす」と皆なしていってくれる。
これも何だか半分気狂いではないかと思われそうなそこの婆さんは酔狂の癖があると思われて、ひどく興奮してしまって、こちらから辞を卑《ひく》うして挨拶《あいさつ》をしてもそれに応答しようともせず、変に、自分ほど偉い者はないといった、頭《ず》の高い調子で、いつまでも、ちびりちびり飲んでいる。いつか聞くところによると、婆さんは、西郷隆盛《さいごうたかもり》などが維新の志士として東三本樹《ひがしさんぼんぎ》あたりの妓楼《ぎろう》で盛んに遊んでいたころ舞妓《まいこ》に出ていて、隆盛が碁盤の上に立たして、片手でぐっと差し上げたことなどあった。婆さんはそれを一つばなしに今でも折々人に話して聴かすのであった。私は、何のことはない、ちょうど、毛剃九右衛門《けぞりくえもん》の前に引き出された小町屋宗七《こまちやそうしち》といったような恰好《かっこう》で、その婆さんの前に手を突いて、
「いろいろとんだ御厄介をかけます。全体あなたに昨日《きのう》一応話をおねがいしておいたのですから、その返事を待っていればよかったのですが、今晩自分が勝手に隣の家へ入り込んで来て、こんなことになったものですから」
何によらず対手《あいて》の仕向けが少し気に入らないと、すぐ皮肉に横へ外《そ》れて出ようとする風の老婆と見たので、昨日の朝も、向うから、及ばずながら、仲に入って話してみましょうといってくれたのを幸いにちょっと頼んでおいたゆきがかりがあったから、そういって一言いいわけをすると、婆さんはぎょっと顔中を顰《しか》めたように意地の悪そうな眼をむいて、
「いいや、こんなことに年寄りの出るところやおへん」と一克《いっこく》そうに、わざと仰山《ぎょうさん》に頭振《かぶ》りをふったかと思うと、
「内の伜《せがれ》は年はまだ若うおすけどな、こんなことには私がよう仕込んでますよって、おためにならんようには取り計らいまへんやろ」とどこまでも偉い者のようにいう。
しかし私は、女さえ自分の物になるならば、どこまで阿呆《あほう》になっていても辛抱できるだけ辛抱する気で、婆さんが、どんなに偉そうなことをいったり、凄まじい気焔《きえん》を吐いても、ただ「へいへい」して、じっと小さくなってそこに坐っていた。そして、今のこのざまが、見も知らぬ人間の前でなかったならば、自分にはとても、こうして我慢していられないであろうと思うと、それが東京と遠く離れた京都の土地であるのが、せめてもの幸いであった。婆さんはむずかしそうな顔をして膳《ぜん》の上の肴《さかな》をつつきながら、ぶつぶつひとり言をいうように、
「まだどこのどなたとも一向お名前も承わりまへんけど、出ている者に金を取られるということは、世間に何ぼもあるならいどすよって、……茶屋の行燈《あんどん》には何と書いておす、え、金を取ると書いておす。こうお見受けしたところ、あんたはんも、まんざら物の出来《でけ》んお方でもおへんやろ。向うは人を騙《だま》さにゃ商売が成り立ちまへん。それを知って騙されるのはこちらの不覚。それをまた騙されんようでは、遊びに往ても面白うない。出ていた者が引いた後まで、馴染《なじ》みのお客やからいうて、一々義理を立てていては、今日その身が立ちまへん。……どこのどなたはんかまだお名前も知りまへんが、こりゃあ、わるい御量見や」婆さんは一語一語にもっともらしゅう力を籠めて説諭するようにいう。
私は、まだ名前を承わらぬと、厭味《いやみ》をいわれたので、それにはいささか当惑しながら、
「それは、まったく私の不行届きでした。ついこんどのことに心を取り乱して申し忘れていました。私はなにがしと申す者でございまして、生国はどこですが、もう長く東京に住んでおります」そういって初めて本名を語ると、婆さんはどこまでも皮肉らしく、
「いや、それを承わっても私どもには御用のないお方でございますやろけど」と、酒盃を口にあてながらわざと切り口上に言って、
「さだめしあんたはんにも親御たちがござりますやろ。わたくしのところにも、役には立ちまへんが、あのとおりまだ若い伜が一人ごわります。もうこの間から、あんたはんのおいでやすとこを見るにつけ、私はほかのことは思いまへん。これがわたしのところの伜であったら、わたしはどないな気がするやろと思うと、この胸が痛うなります」婆さんは、そういいながら、さもさも胸の痛みに触るように皺だらけの筋張った顔を一層|顰《しか》めて、そっと胸に手を当てる形をした。「あんたはんはそりゃ、御自分の好きな女子《おなご》のために勝手に自分の身を苦しめておいでやすのやろさかい、ちっとも私、構いまへんで。そやけど親御の身になったら、どないに思うか。わたしは、あんたはんの顔を見るのが辛い。もう、わたし、あんたはんがここの路次へ入って来るのを見るのが厭どす。見とうない、見せておくれやすな」
婆さんは一人で、きかぬ気らしく頭振《かぶ》りを振りながら言い続けるのである。私は、揉手《もみで》をせんばかりに、はいはいして、
「あなたのおっしゃることは、一々御もっともです。けれども私にとってはまた一と口に申すことの出来ない深いわけがあるのですから……」
「ああいや、もう、そのわけがようない。それは聴かいでもわかってます。まあ、伜が何んとか埒《らち》のつく話をしていますやろ。どうぞ遠慮せんと待っといでやす」いくらか気を鎮《しず》めてそういっているかと思うと、婆さんは、しきりに酒気を吐きながら、肴の皿《さら》を箸で舐《な》めまわして、
「当年、これで七十一になります。年は取ってますが、伜で話がわからなんだら、わたしが出て話します。私がこうというたら後に寄りまへん」婆さんは、皺だらけの腕を捲《まく》ってみせて、「まだまだ若いものではしょうむない。毎日私か小言のいい続けどす」まるで何を言っているのか、拘攣《こうれん》したように変なところに力を籠めて空談《くだ》を巻いている。
合壁一つ隔てた女の家《うち》では、いつまでも母親ががみがみがなる声ばかりが聞えていた。すると、やがて、越前屋の主人はどうしたのか、その母親を宥めすかしながら連れて戻って来た。そして優しい言葉で、
「お母さん、どうぞこちらへ。長うお手間は取らしまへんよって、ちょっとここでお待ちやしてとくれやす」といって、主人は自分で手まめに次の間から座蒲団などを取って来て、母親にすすめた。
私は、母親の入って来たのを見ると、まるで敵《かたき》同士なので、ぷいと立ってそこを外《はず》そうとすると、主人は、
「ああ、兄さんもどうぞそこにいてとくれやしたらよろしい。構《かま》しまへんがな。さあ、どなたはんも寒うおすさかい、遠慮せんと、ずっと火鉢の傍に寄って当ってとくれやす。……お母はんも、どうぞ私のところではもう何もいわんとおいとくれやす。お話はまた後でゆっくり聴きますよって」といって、私の方に向い、「兄さんも、どうぞそのおつもりで」と、顔に多く物を言わして、主人は再び隣りへ引き返していった。
主人がそういうのにつれて、ほかの者も狭い茶の間の一つところに母親や私を坐らした。見ると母親はさっきの激昂《げっこう》した様子は幾らか和らいで、越前屋の者に対しては笑顔《えがお》をしながら、それでもまだ愚痴っぽく「えらい遅うから兄さんもおいそがしいところ皆様にお世話かけてほんまに済まんことどす。……あんたはん、昨日こちらのお婆さんにお頼みやしたやおへんか。その返事もまだ聴かんうちから、よその家《うち》へ黙って入ってきやして、警察へ訴えて出たら、あんたはん罪人やおへんか。あの家は私の家とちがいます。旦那はんが今日は来ていやはらんからいいけど、もし旦那はんでも来といやしたら、どないおしやす」母親はまださっきの驚きと激怒の余熱《ほとぼり》の残っているように、くどくどと一つことを繰り返していっている。私は、もう母親を対手《あいて》に物をいいかけると、こちらまでが自分でも愛想の尽きるほど下劣な人間になり果てるような気がしてくるので、もう、どんな気に障《さわ》るようなことをいい出されても、じいっと腹に溜《た》めておろうとしても、「旦那はんが来ていたら……」などといわれたので、また、頭がかっとなるほど癪に障ったので、
「旦那が何です。私のほかにそんな者があろうはずがない。そんな男がもし来てでもいたら黙って引っ込んでいる私じゃない。そんな者があるなら、今晩それが来合わしていればよかったと思っているんだ。いつでも対手をしてやる」
私は堪《こら》えかねて、母親の方に向き直って言うと、生酔《なまえ》いに酔っぱらった越前屋の婆さんは、眼と眼との間に顔中の皺を寄せて、さもさも気色《きしょく》の悪そう、
「ああもう、うるさい。喧嘩《けんか》をするなら、私の家の中でせんと、どうぞ戸外《そと》に出てしてもらいまひょう。今伜があれほどいうて往《い》きよったのに、伜の顔を潰《つぶ》さんようにしてとくれやす」
そんな調子で私と母親とで睨《にら》み合っているところへ
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