う金で花をつけて遊ぶのどうするのいうことはない、心の綺麗な人どした。……お園さん本当に三野村さんに惚れとったのやろか」
女主人はそういいさしてまた傍にいる若奴の方を振り顧った。私はそれに口を入れて、
「あの女は自分でもよくいっていた。わたし、こんな商売していたかて、まだ一度も男に惚れたいうことおへん。そういっていたが、三野村ともそんな捫着がたびたびあったくらいだから無論嫌いではなかったろうが、そう魂を打ち込んで男にほれるというような性質《たち》の女じゃなさそうですな」
「ようここで三野村さんと喧嘩してはりましたなあ」若奴がいう。
「ふむ、よう喧嘩をしてたなあ。あんなに惚れていてどうしてああ喧嘩したのやろ」女主人はその時分のことを思い出すような風で笑った。
「それは仲が好過ぎてする喧嘩でしょう」
そういうと、女主人と若奴とは口を揃《そろ》えてそれを否定し、
「いや仲が好過ぎてするのとちがう。仲が好うてする喧嘩とそうでのうてする喧嘩とは違っています。お園さんと三野村さんの喧嘩は本当に仲が悪うてするような喧嘩やったなあ」
「ええそうどす。お園さん、もうあんたはんのような人は嫌いや、もうここへ来んとおいとくれやすいうて、随分きついこというてはりました」若奴がそれにつけていった。
「男が死んだときお園はどうしていました。ひどく落胆《がっかり》していましたか」
女主人はまた若奴と顔を見合わしながら、
「死んだ時かて格別お園さんの方では力落したような風はなかったなあ」
若奴はその時分のことはよく覚えているらしく、
「ちょっともそんな様子はありゃしまへなんだわ。……そうそうあの時お園さん二、三日大阪へ行ってはりました。そして夜遅うなって帰って来やはりました。まあ、お気の毒に三野村さんがお死にやしたのに、お園さんは大方そんなこととも知らはらんやろか大阪に往《い》てどこで何しておいやすんやろいうて私うちで言うていました。ほて、ここへ入っておいでやした時、お園さんの顔を見ると、私すぐ、お園さん三野村さんが死なはりました、こっちゃは大きな声でいいましたけど、お園さんはびっくりともしやはらんで、ただ一と口そうどすかおいいやしたきりどっせ、姐さん。その時私、お園さん薄情な人やなあ思いました」
若奴がそういうと、女主人は、
「ふん、そうやったかなあ、わたしあの時どうしてたか内におらなんで、あとで聞いた。……死んだ時はそりゃあ可哀そうどしたで」
といって、また追憶を新たにする風であったが、私はそれよりも自分の目前の境遇の方がはるかに憐《あわ》れであった。
底本:「日本の文学 8 田山花袋 岩野泡鳴 近松秋江」中央公論社
1970(昭和45)年5月5日初版発行
入力:久保あきら
校正:松永正敏
2001年6月4日公開
2006年1月26日修正
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