どの抱えぬしの仕打ちに対して少なからず不満を抱いているらしい口吻《こうふん》をも洩《も》らしていた……私はその時分のことを心の中でまたいろいろ思い起してみながら、今はじめて聴く、こちらではそれと重きを置かなかった恋の競争者の三野村が、そうした極秘密の私の手紙まで女のところから奪い去って、しかもそれを利用して抱え主の女あるじの信用を回復し彼自身の恋の勝利を確実にしたとは!
ややしばらくして私は、
「ええ、そういわれればそんな手紙をよこしたことがあったのは自分でも覚えています。しかしその時分彼女から私によこした手紙ではこちらでいろいろ不平があったようなことをよくいってよこしていました。一体どんなことがあったのです。私の方から、それはどんなことで揉めているのかといって訊ねても、その内わけは何にもいわずに、ただ癪に触ることがあるから母のところに帰って店を休んでいる、一日も早く商売を廃めたいと言っていました」
そういって訊くと、女あるじは思い合わすような顔をして、
「ああ、そうやそうや。それが三野村さんのことで私の言うことが気に入らんいうてお園さん休んでた時のことどす」
そういうと、若奴も傍にいて、
「へえ、そうどした」という。
私はあれやこれやその時のことをさらに精《くわ》しく思い出して、
「じゃ、何もかも私のことが原因《もと》で屋形と捫着《もんちゃく》を惹《ひ》き起しているようなことをいって手紙をよこしていながら、それは皆な拵《こしら》え事で真相《ほんとう》は三野村のことが原因だったのですな……どうも、そうでしょう。私はあんたもご承知のとおりあの年の夏の三カ月ばかり京都にいて東京に帰ったきり手紙と金とを送ってよこすだけで、てんで自分の体は来ないんですもの、私のために捫着が起る道理がないのです。みんな※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》をいっていたのだ、だからこうして話してみなければ真相は分らない。それでいて私こそ好い面の皮だ。三野村自身のことでそんなに揉めているのとは知らず、言ってくるがままに身受けの金のことまで遠くにいてどれだけ心配してやったか。……私は何もあなたの方の迷惑になるようなことを初めから好んで彼女《あれ》に勧めたわけじゃない。自分ではどこまでも穏便な方法で借銭を払って廃業させようと思っていたのです。それであまり火のついたようにいって強請《せが》んで来るからそうでもするよりほかにしかたがなかろうと思ったのです」
そういうと女あるじは幾らかこちらの事情も分ったように、
「三野村さんもずっと前に一度そんなことをお園さんに勧めたことがあったのどす。そんなことせられては私の方かて黙って見ておられんさかい、それでお園さんを長いこと三野村さんのお花にはやらんようにしてたのどす。そりゃあの人のことでは何度も揉めたことがあるのどす。あんたはんのいまおいいやす、あの時かて大変どした。お園さんもまた三野村さんのことやいうとあんなおとなしい人が本気になるのやもの……」
私はまたその四、五年前の当時女から悲しい金の工面を訴えて来た時のことを繰り返して思い浮べながら、
「しかし、そうであったかなあ。……」と、その時の女の心底を考え直してみた。「じゃその時私が彼女《あれ》からいって来ただけの金を調えて送ったら、それで脚を抜いて、そして体は私の方に来ないで三野村の方に往ってしまったな」
女あるじは真正面《まとも》に私の顔を見て、
「ええ、そしたらもう三野村さんの方にいてしまう気どしたのどす」
それでもまだ私は小頸を傾けて、
「そうでしょうかなあ。その時は無論三野村が離れずついているから、たといお園の方では自分だけの一存で私に金を頼んで来たのであっても、自由な体になってしまえば三野村がすぐ浚《さら》って去《い》ったにちがいない。……その時一日に追っかけて二度もよこした手紙が幾十通となく、今までも蔵って私は持っています。それで見ると、まさか※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]ばかりで私に頼んだものとは自惚《うぬぼ》れか知らぬがどうしてもそう思えないなあ」
私はひとり語のようにいって、心の中でその時血の出るような苦しい金の才覚をした悲しい記憶を呼び起した。すると女主人も思案するような顔をして、
「ふむ――変どすなあ……そやけどお園さんは、ええようにいうてお客さんを騙《だま》してお金を取るような悪い知恵のまわる人やない。私のとこに七年も八年もいたのどすさかい、あの人の気性は親よりも誰よりも私が一番よう知っています。商売かて方々渡って歩いたりしたこともないし、初めて私のところから出て廃めるまで一つところにいて、長い間商売はしてもいつまでも素人《しろうと》のとおりどした。三野村さんかて、お園さんがあんたから貰
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