そして傍へ来ても、「お久しゅう」とも何とも言わずに黙ってそこへ坐ったままである。どんなことがあっても彼女は決して深く巧んだ悪気のある女とは認めないが、対手のいうことがあまり腹の立つようなことを言ったり、くどかったりする時にはさながら京人形のようにその綺麗《きれい》な、小さい口を閉じてしまって石のごとく黙ってしまうのである。その気心をよく知っているので、私は、こちらでもややしばらく黙って、わざとらしく、じろじろ女の顔を見ていたが、やっぱりついに根まけして、
「京人形、京人形の顔を二年も見なかったので、今そこへ来た時にはほかの人間かと思った」戯弄《からか》うようにそういうと、彼女はそれでも微笑もせず、反対に、
「あんたはんかてあんまりやおへんか」
 彼女は美しい眉根を神経質に顰《しか》めながら、憤《いきどお》るようにいう。私は「えらい済まんこと」くらいはいうであろうと思っていたのに、向うからそんな不足をいうので、何という勝手な女であろうと思って、腹の中で少しむっとなったが、また、そんなぺたつくような調子の好いことをいわぬのがかえって好くも思われる。
「一年と半とし見ないんだよ。そして一体どんな話になるのだい? こんなに長い間顔を見たいのを堪《こら》えていたのも、後を楽しみにしているからじゃないか」
 そういって、今まで手紙のたびに幾度となく訊《たず》ねている彼女の境遇の解放について重ねて訊ねたが、女は、ただ、
「そのことはまた後でいいます」といったきり何にもいおうとしない。
「また後でいいますもないじゃないか。何年それを言っていると思う」
 二人はちゃんと坐って向い合いそんな押し問答をしばらく繰り返していたが、彼女は黙って考えていたあげく、謎《なぞ》のように、
「ここではそのことも言えませんから、私、かえります」と、いう。
 私は、少し眼の色を変えて、
「妙なことをいう。ここで言えないで、どこでそれを言うの?」
「あんたはんがようおいでやす下河原の家へこれからいて待っとくれやす。そしたら私あとからいきます。ここの家から一緒にゆくのはここの家へ対していけまへんやろ。それから私一遍家へ去《い》んで、あっちゃから往きます」女の持ち前の愛想のない調子でそんなことをいう。
 私はまた女のいうことにいくらか不安をも感じたが、本来それほど性情の善《よ》くない女とは思っていないので、だ
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