を持っているのが、賤《いや》しい稼業《かぎょう》の女でありながら、何となく古風の女めいて、どうしても京都でなければ見られない女であると思いながら、私は寝床の上に楽枕しながら、女の容姿に横からつくづく見蕩《みと》れていた。……
 その時は、その晩遅い汽車で、女に京都駅まで見送られて東京に戻って来た。それから一年ばかり、手紙だけは始終贈答していながら、顔を見なかったのである。

     四

 その女が、自分のほかにどんな人間に逢っているか、自分に対して、はたしてどれだけの真実な感情を抱いているか。近いところにいてさえ売笑を稼業としている者の内状は知るよしもないのに、まして遠く離れて、しかも一年以上二年近くも相見ないで、ただ手紙の交換ばかりしていて、対手《あいて》の心の真相は知られるはずもないのであるが、そんなことを深く疑えば、いくら疑ったって際限がなかった。時とすると堪えがたい想像を心に描いて、ほとんどいても起《た》ってもいられないような愛着と、嫉妬《しっと》と、不安のために胸を焦がすようなこともあったが、私は、強《し》いてみずから欺くようにして、そういう不快な想像を掻《か》き消し、不安な思いを胸から追い払うように努めていたのであった。
 そして、三、四年につづいている長い間のこちらの配慮の結果、あたりまえならば、もうとうに女の身の解決は着いているはずであるのに、それがいつまで経《た》っても要領を得ないので、後には自分の方から随分詰問した書面を送ったこともあったが、女はそれについては、少しも、こっちを満足せしめるようなはっきりした返事をよこさなかった。とうとうまた、ようやく一年半ぶりに女に逢うべく京都の地に来ていながら、私はただ、あたりまえの習慣に従って女に逢うのが物足りなくなって、この前の時のように手紙や電報で合図をしても、それに対して一向満足な手紙をよこさないのであった。ただ普通の習慣に従って逢おうとすればすぐにでもあえるのであるが、女の方から進んで何とか言ってくるまではしばらく放棄《ほ》っておこう。これを仮りに人のこととして平静に考えてみても、向うから進んで何とか言わなければならぬ義理である。百歩も千歩も譲って考えても、いくら卑しい稼業の女であってもそんなわけのものではない。
 そう思い諦めて、しばらくの間、気を変えるために、私は晩春の大和路《やまとじ》の方に
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