ぢぼう》を下すと、ぽうと笛を吹いて汽船の姿が近くの水の上に見えた。
浮御堂は、その棧橋を渡りながら右手の方の汀から架け出してあるのが見えてゐる。緑の濃い松が數株そのまはりの汀に立つてゐる。芭蕉は、
[#天から2字下げ]錠あけて月さし入れよ浮御堂
と詠んでゐる。叡山|横川《よかは》の惠心僧都《ゑしんそうづ》の創建で海門山滿月寺といつてゐるのは、ふさはしい名である。中には千體阿彌陀佛を安置してある。やがて船が着いて私はやつと湖上に浮ぶことが出來た。前甲板に呉蓙《ござ》を敷いて天幕の張つてある處に座をとつて私はそこから四方を顧望してゐた。
今朝山を下りて來る時分には、どうかと氣遣つた天氣は次第に晴れて大空の大半を掩《おほ》つてゐた雲は追々に散らけ、梅雨上りの夏の來たことを思はせる暑い日が赫々と前甲板の上を蔽ふたテントの上に照りつけた。雲が刻々に消散して頭の眞上にあたる蒼空が次第に天上の領域を擴げてゆくと共に、水の面も船の進行につれて蒼茫として濶けて來た。日は水を照らし、水は光を反射して輝き、水と天と合して渾然たる一大碧瑠璃の世界を現出し、船はその中を、北から吹いてくる習々たる微風に逆つて靜に滑つてゆくのである。湖水では北風が吹くと晴としてゐる。昨日一日山の上で濛々として咫尺《しせき》を辨ぜぬ淫雨に降り籠められ、今朝は夙《つと》に起きいでゝ二十五町の急阪を驅けるがごとく急ぎ下り、勝手の分らぬ船の乘降に、さらでだに疲れたる頭を無益に惱ましたるそのうへに尚二百里[#「二百里」はママ]の間、いぶせき田舍の泥濘路《ぬかるみみち》を俥に搖られて、ほと/\探勝に伴ふ體苦心苦の辛さを味はひ、強《したた》か幻滅の悲しさを感じてゐたのが、眼の前に開けた美しい湖山の大觀のために、今までの憂苦は全く忘れられて、私の心は嬉々として眼の覺めたごとき悦びに滿ち、或は左舷に立つて眺め、或は右舷に凭つて遠く瞳を放ち、片時も眼を休ませないで、飽くことを知らず刻々に移り變る山の影水の光に見惚れてゐた。ここまで來ると比良比叡の峰つゞきが、適度の距離を置いて一とまとめに雙眸に入つて來た。上空から次第に拭ひ去られた雲は僅かに比叡と比良の頂に白紗を纏ふたごとく殘つてゐたが、正午ごろになつて太陽の光が一層強くなつてくると、やがて比叡の頭にも雲は消えてなくなり、船の北進するにつれて山の影は次第に淡く南に殘り、清楚な
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