が流行っているが、変りはないかと訊《たず》ねて越《おこ》したりしたが無論何とも言って来なかった。京都に出てくると、その晩すぐ手紙を出して、今度はこういうところにいるから、一度訪ねて来てもらいたいと言ってやったけれど、例のとおりに何ともいって来なかった。そして、今度の宿は、先のところとちがい気の張らないだけに、土地柄からいっても、何からいっても陰気で、気が晴れ晴れとしないので私は部屋の中にじっとしているのがいたたまらなくなって、高雄の紅葉を見にいった翌晩祇園町の方に出て往き、夜にまぎれて女の勤めている家の前をそっと通ってみた。
 すると、不思議ではないか。入口の格子戸《こうしど》の上のところに、家に置いている妓《こ》の名札が濃い文字で掲げてあるのに、しかもその女の札は、もう七、八年もそこに住み古しているので、七、八人も並んで札の掲っている一番筆頭であるのに、なぜか、そこのところだけ、ちょうど歯の脱《ぬ》けたようになっているではないか。察するところ、札を外《はず》してからまだ幾日も日が経ぬのでまだ名札をはずすだけはずして後を揃《そろ》えず、そのままにしているのらしい。私は寒い夜風の中に釘付
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