って、玄関から音なうと、階下《した》の家主の老女はもとより、上も下も家中みんな留守と思われるほどひっそりとしている。それでも黙って上がって行くのは厚かましいようで、二、三度大きな声をかけると、やがて階段を下りて来る足音がして、外から開《あ》かぬように、ぴたりと閉《し》めた奥の潜戸《くぐり》の彼方《むこう》で、
「どなたはんどす」という、母親の声がする。
「私、わたしです」というと、潜戸をそっと半分ほど開けながら母親が胡散《うさん》そうに外を覗《のぞ》くようにして顔を出した。そして、その瞬間、先だって中の待遇から推して期待していたような、あまり好い顔をして見せなかった。
「私です。今帰りました」というと、
「ああ、あんたはんどすか」といったが、「さあお上がりやす」というかと思っていると、「ちょっと待っとくれやす。今ちょっとお客さんどすよって」
といって、ちょうど留守でいない階下の家主の老婆の表の六畳の座敷に案内して、「どうぞちょっとここでお待ちやしてとくれやす」といって、私をそこに置いといて、間《あい》の襖《ふすま》をぴしゃりと閉めて、自分は二階へ上って行った。
するとしばらく待つ間も
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