「言+虚」、第4水準2−88−74、450−上−14]《うそ》であろうというと、もう、そんなところにいるものか、遠くの親類が引き取ったとか、またこういえば、私が東京へ帰って行くとでも思ったか、世話をする人が家内にするといって東京へ連れて行ったなどといろんなことをいっていた。たしかに南山城に行っているとも思えないが、母親が、いつもよくいうとおりだとすれば、あるいはそうかも知れぬ。あの女が、自分の索《さぐ》り求めえられる世界から外へ身を隠した、もう、とてもどうしても会うことも見ることも出来ぬと思えば、自分は生きている心地《ここち》はせぬ。そんな思いをして毎日じっとして欝《ふさ》いでばかりいるよりは、当てのないことでも、往って探《さが》してみる方がいくらか気を慰めると思って、私は、十二月のもう二十九日という日に、わざわざそちらの方へ出かけていった。木津で、名古屋行きに汽車を乗り換えると、車内は何となく年末らしい気分のする旅行者が多勢乗っている。一体木津川の渓谷《けいこく》に沿うた、そこら辺の汽車からの眺望《ちょうぼう》はつとに私の好きなところなので、私は、人に話すことは出来ないが、しかし、自分の生きているほとんど唯一の事情の縺《もつ》れから、堪えがたい憂いを胸に包みながら、それらの旅客に交って腰を掛けながら、せめても自分の好める窓外の冬景色に眼を慰めていた。車室がスチームに暖められているせいか、冬枯れた窓外の山も野も見るから暖かそうな静かな冬の陽に浴して、渓流に臨んだ雑木林の山には茜色《あかねいろ》の日影が澱《よど》んで、美しく澄んだ空の表にその山の姿が、はっきり浮いている。間もなく志す大河原駅に来て私は下車した。
 かねて南山城は大河原村の字童仙房というところの親類に引き取られていると聞いていたので、大河原の駅に下車すると、そこから村里まで歩いて、村役場について、まず親類という人間の姓名をいって、戸籍簿を調べてもらったが、村役人は、「そんな名前の人は心当りがありませんが」といって、帳簿を私に見せてくれた。そして、童仙房というところは、この大河原村の内であっても、ここから車馬も通わぬ険悪な山路《やまみち》を二、三里も奥へ入って行かねばならぬという。そんな遠い山路を入っていっても童仙房というところにそんな人間がないならば無益なことである。
 そして、そんな姓名はこの大河原村
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