ったのである。大河原の童仙房というところにそういう人間があるかどうか、自分は委しいことは知らぬが、事務所の方には四、五年前に他の事件を依頼して来たことがあるので、今度はその縁故で来たのである、という。
 私は、それを、この間はじめて聞いた時から幾度となく疑ってみた。そんな親類があって、こんどそれだけの金を出してくれるくらいならば、そもそもあんな卑しい境涯《きょうがい》に身を沈めない前に泣きついて行くはずである。けれども、そういう親類があるというから、あるいはそうかも知れぬ。そして、
「もう、あれからしばらく経ったから、病気も大分良くなったでしょう。私自分で一遍往って様子を見て来たいと思うんですが」というと、小村は口をきくよりも先きに頭振《かぶ》りをふって、
「いやいやまだなかなかそんなどころでない。母親の話ではどうも良くないらしい」という。
「とにかく、それでは私が自分で往ってみましょう」といって、女の静養しているという山科《やましな》の方の在所へ往く道順や向うのところを委しく訊ねると、小村は、君が独《ひと》りで往ったのではとても分らない、ひどく分りにくいところだといっていたが、それでも強いてこちらが訊くので、山科は字小山というところで、大津ゆき電車の毘沙門《びしゃもん》前という停留場で降りて、五、六町いった百姓家だという。姓はときくと、さあ姓は、自分も一度母親に連れられて一度行ったきりでつい気がつかなかったが、やっぱり藤村といったかも知れぬという。
 まるで雲を掴《つか》むような当てのないことであるが、私はそれから小村方を出て、寒い空に風の吹く砂塵《さじん》の道を一心になって、女に食べさすために口馴染《くちなじ》みの祇園のいづ宇の寿司《すし》などをわざわざ買いととのえて三条から大津行きの電車に乗った。小村のいった毘沙門前の停留場というのは、大津街道の追分からすこし行くとすぐなので、そこで電車を降りて、踏切番をしている女に小山というところへ行くのはどう往ったらよいかと訊ねると、女は合点のいかぬように、
「小山はここから五、六町やききまへんなあ。あこに見えるのが小山どすよって、一里もっとおすやろ」といって指さす方を見ると、田圃《たんぼ》の向うの逢阪山《おうさかやま》の峰つづきにあたる高い山の麓《ふもと》の方に冬の日を浴びて人家の散らばっている村里がある。私は、あそこま
前へ 次へ
全45ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング