どこでしょう。あんた知っていませんか」
「さあ、それも、わたしどこや、よう知りまへんけど」と、小頸《こくび》を傾けるようにして、「何でも三条とか、油の小路とか聴いたように思うけど、委しいことは、よう知りまへん」と、真実知っていなそうである。
 私はなお、もっと委しいことを、ああもこうもと訊ねたいと思ったが、家の内が急がしそうにしているのと、向うがはたして誠意をもって話してくれているのか、どうか半信半疑なので、いい加減にして出て戻ろうとして、まだ立ちにくそうにしながら、
「いろいろありがとうございました。あなたにお眼にかかって、様子が一と通り分りました」
 私は、この上にもなお向うの誠意を哀求するような心持で丁寧にお礼をいった。幾度思ってみても、全く自分の生命《いのち》にも換えがたい女である。その女のゆえならば、いかなる屈辱をあえてしても決して厭わないと思っていたのである。
 お繁婆さんは、
「ああそれからあんたはんのお手紙が来ているのも知ってます。たしか二度来てたかと思ってます。前のはお園さんが自分で受け取ってたしか見ていました。後のはここにおらんようになってから来ましたよって、私が預かっておきました」
といって、彼女は奥に立って往き、三、四本の、女にあてて来ている封書を、私から越《おこ》したのと一緒に持って出てきた。それを見ると、中の一つは自分のちょっと知っている、ある男からの文《ふみ》であった。私は、それを一目みると何とも言えない厭《いや》な気持になって、「あの人間が!」と、ちょうどウロンスキイが、自分の熱愛しているアンナの夫のカレニンの風貌《ふうぼう》を見て穢《けが》らわしい心持になったと同じような気がして、その瞬間たちまち、自分が長い年月をかけて宝玉のごとくに切愛していた彼女が終生いかんともすべからざる傷物になったかのように思われて、またもやがっかり失望してしまった。女がいなくなったことがすでに自分には生命《いのち》を断たれたと同じ心地《ここち》がしているのに、自分が一面識のある人間とも知っていたのかと思うと、私はあまりに運命の神の冷酷やら皮肉やらを悲しみかつ嘆かずにはいられなかった。しかし、それも、皆な自分の愚かゆえである。こうした売笑の女に恋するからは、それはありがちのことである。西鶴《さいかく》もとうの昔にそれを言っている。今こんなことがあると知ったの
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