くのが冴《さや》かに眼に見えた。それとともに、街の灯《ひ》の色は夜ごと夜ごとに明麗になってきて、まして瀟洒《しょうしゃ》とした廓町《くるわまち》の宵《よい》などを歩いていると、暑くも寒くもない快適な夜気の肌触《はだざわ》りは、そぞろに人の心を唆《そそ》って、ちょうど近松の中の、恋と小袖は一模様、身に引き締めて抱いて寝《い》ねてこそなつかしいということが思われて、どうかして一と目なりとも彼女の姿が見たいと思って、私は折々女の勤めている家の前を、宵暗《よいやみ》にまぎれてそっと通ってみることもあったが、一度も途中で出会わなかった。
 その内にも秋は次第に闌《た》けて旅寝の夜の衾《ふすま》を洩れる風が冷たく身にしむようになってくるにつれて、いつになったら、果てしの着くとも思われない愛欲の満たされない物足りなさに、私はちょうど移りゆく四囲の自然と同じように沈んだ心持に胸を鎖《とざ》されていた。そうして一と月ばかりつまらない日を過しているうちに高い山に囲まれた京都の周囲には冬の襲うてくるのも早かった。旅館の二階の縁側に立って遠くの西山の方を眺めると、ついこの間まで麗《うら》らかに秋の光の輝いていたそちらの方の空には、もういつしか、わびしい時雨雲《しぐれぐも》が古綿をちぎったように夕陽《ゆうひ》を浴びてじっと懸《か》かっている。陰気な冬はそこから湧《わ》いてくるのである。この四、五年来そのことのみを思いつづけて、ほとほと思い疲れてしまった私は、どうかして女のことをなるべく思うまいとして、いくら掻《か》き消すようにしても綿々として思い重なってくる女のことを胸から追い払うようにして、洛中洛外《らくちゅうらくがい》をさまよい歩いて、時としては人気のない古い寺院などに入っていって、疲れ爛《ただ》れた脳を休めるようにしていた。

     四

 十月の末から私はまた一と月ばかり中国の方の田舎に帰っていた。心に浮かぬことがあるので田舎は少しも面白いこともなかったが――もっとも面白かろうと思って往ったのではなかったけれど――ことに、この年は初めて悪性の世界的流行感冒が流行《はや》った秋のことで、自分もその風邪《かぜ》に罹《かか》ったが、幸いにして四、五日の軽い風邪で済んだ。けれども、その年はそんな悪性の風邪が流行するほどあって、例年ならば美しい小春日の続くころに、毎日じめじめとした冷たい雨
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