[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り、そのまゝ上野に出るか、或は土山より昨日の道をまた關に戻るか、それは其時の心の赴くままになし、再び名古屋、湊町の線路にたよりて左方の車窓に崢※[#「山+榮」、第3水準1-47-92]《さうえい》たる靈山寺山、長野峠の錦繍を遙に送迎しつゝ、やがて伊賀の國境に入れば、春ならば黄白の菜の花薫る上野の盆地遠く展けて、收穫濟みたる野の果て、落葉しぐれる山の際に戌亥《いぬゐ》の方に白壁の土藏を置いたる農家の冬待ち顏に靜かに立つを見る。佐奈具《さなぐ》の一驛をへてやがて上野に着く。此地は芭蕉翁故郷塚、伊賀越の敵討で名の高い鍵屋《かぎや》の辻など心に留むるかたぞ多し、私はこゝに一夜二夜を明し、翁のことどもを忍びつゝ俳人ならぬ俗人の俗膓を洗ひ、
[#天から2字下げ]今宵たれ吉野の月も十六里
と翁もいはれしとほり、かねて假りの住居の望みなる吉野も程遠からねばそれより大和街道を志て名張《なばり》に向ふ。ところどころは俥を下りて、車夫を勞《いた》はり、ひろひ歩きして、南畫に描《か》かまほしき秋の山々の黄葉を拂ふ風に旅衣を吹かれつゝ、そのわたりの溪山の眺めは私をして容
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