くび》が坊主襟じゃないか」と、柳沢は口の先でちょいとくさすようにいう。
「うむ。それからあの耳が削いだような貧相な厭な耳だ」私も柳沢に和してお宮を貶《けな》した。
「とにかくよく顔の変る女だ」
「うむ、そうだ。君もよく気のつく人間だなあ。実によく顔の変る女だ」
 まったくお宮は恐ろしくよく顔の変る女だった。
 ややしばらくそんな話しをしていた。
「もう出かけるのか」
「うむ、もう出る」
 それで私は柳沢の家を出て戻った。

 その翌日《あくるひ》であった、この間お宮に会って話しておいたことをどう考えているか、もう一度よく訊いて見るつもりで、こんどは本当にお宮の手紙を懐中《ふところ》にして蠣殻町に出かけていった。
 先だって中からよくお宮の家から一軒おいた隣家《となり》の洋食屋の二階に上ってお客を呼んでいたので、今日もそこにいってよくお宮の思案を訊こうと思って何の気もなく入口のカーテンを頭で分けながら入っていった。
「いらっしゃい!」と、いう声をききながら、土間からすぐ二階にかけた階段《はしごだん》を上ろうとして、ふと上り口に脱ぎすてた男女の下駄《げた》に気がつくと、幅の広い、よく柾《まさ》の通った男の下駄はどうも柳沢の下駄に違いない。
 私は、はっと度胸《とむね》を突いて、「柳沢は昨日鎌倉に行ったはずだが」と思いながらなお女下駄をよく見るとそれも紫の鼻緒に見覚えのあるお宮の下駄らしい。ちょうど女の歩きつきの形のままに脱いだ跡が可愛《かわい》らしく嬌態《しな》をしている。それを見ると私はたちまち何ともいえない嫉妬《しっと》を感じた。そうしてややしばらく痛い腫物《しゅもつ》に触《さわ》るような快《い》い心持ちで男と女の二足の下駄をじっと見つめていた。
 そうしてじっと階上《うえ》の動静《ようす》に聴《き》き耳を立てていると、はたして柳沢が大きな声で何かいっているのが聞える。どんな話をしているだろうかとなおじっと聴き澄ましていると、洋食屋の小僧が降りて来た。
 私は声を立てぬように、
「おい!」と手まねぎして、「お宮ちゃんが来ているのかい?」
「ええ」
「じゃあねえ、私がここにいるといわずにちょっと宮ちゃんを呼んでおくれ」
 小僧は階段《はしごだん》をまた二つ三つ上って、
「宮ちゃんちょっと」と呼ぶと、
 小僧が階段《はしご》を降りるすぐ後からお宮は降りて来た。そしてもう二つ三つというところまでおりて土間に私が突っ立っているのをちらりと見てとるとお宮は、
「あらッ!![#「!!」は第3水準1−8−75、373−上−7]」と、いったままちょっと段階《だんばしご》の途中に佇立《たちどま》った。そしてまた降りて来た。
 その様子を見るとまた身体《からだ》でも良くないと思われて、真白い顔が少し面窶《おもやつ》れがして、櫛巻《くしま》きに結《い》った頭髪《あたま》がほっそりとして見える。
 階段《はしごだん》を降りてしまうと、脱いでいた下駄を突っかけていきなり私の傍《そば》に来て寄り添うようにしながら、
「わたし病気よ」と、猫《ねこ》のようにやさしい声を出して、そうっと萎《しお》れかけて見せた。私は、
「この畜生が!」と思いながらも、自分も優しい声をつくって、
「ふむ、そうか。それはいけないねえ」と、いいつつまたお宮の頭髪から足袋《たび》のさきまでじろじろ見まわした。
 春着にこしらえたという紫紺色の縮緬《ちりめん》の羽織にお召の二枚重ねをぞろりと着ている。
「こんな着物が着たさに淫売《じごく》をしているのだなあ」と思うと唾《つばき》を吐きかけてやりたい気になりながら、私は鳶衣《とんび》の袖《そで》で和らかにお宮を抱くような格好をして顔を覗《のぞ》いて、「おい、この下駄はだれの下駄?」と、男下駄を指さした。
「…………」
「おい、この下駄はだれの下駄?」
「それは柳沢さんの」
 お宮は例《いつも》の癖の泣くような声を出した。
「そうだろう。……洋食屋で朝からお楽しみだねえ」
 私は気味のいいように笑った。
「じゃあねえ、先だって君に話したとおり、もう君の心もよく分ったから、どうぞ私から上げてある手紙を返しておくれ」私は一段声をやわらげていった。
「ええ……」と、お宮は躊躇《ため》らうようにしている。
「おい、早くしてくれ。君たちにもお邪魔をして相済まぬから」
「じゃ、ちょっと待って下さい」と、いってお宮はまた二階に上っていった。
 私は階下《した》でどかりと椅子《いす》に腰を落して火のごとく燃える胸をじっと鎮《しず》めていた。
 二、三十分も経《た》ったけれど、まだお宮は降りて来ぬ。
 どうしているのだろう。二階から屋根うらへでも出て二人で逃げたのだろうか。そうだったら後で柳沢の顔を見る時が面白い、それとも上っていって見ようか、いやそいつはよ
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