て、それで、先《せん》に来た時に一緒に義太夫を聴きにいったりしたのだ。あの時もう鳥安に行ったことを言っていたから、じゃ私が一週間ばかり来なかった、その間に柳沢は来て、私がまだ女をつれて外になど少しも出ない時分に鳥安なんかへ行ったのだ。女にかけては、世間では私などを道楽者のようにいっているが、よっぽど柳沢の方が自分より上手《うわて》だ。と思うと、私はなおのことお宮のことが心もとなくなって来た。そしてつまらぬことをお宮に根掘り葉掘り訊《き》きたいのを、じっと抑《おさ》えて耐《こら》えながらもやっぱり耐えられなくなって、さあらぬようにして訊《たず》ねた。
「あの人、好い男だろう」
「本当に好い男よ。私、あんな人大好き。着物なんか絹の物なんか着ないで、着物も羽織も久留米絣かなんかの対のを着て、さっぱりしているわ」
「何か面白い話しがあったか」
「うむ、あんまり饒舌《しゃべ》らない人よ。そうしてじろじろ人の顔を見ながら時々口を利《き》いて、ちっとも無駄《むだ》をいわない人。私あんな人好き」
 お宮には本当に柳沢が気に入っているのらしい。
「君が買った女だと思ったから、じっと顔を見ていてやったら非常に興味があった」
 こんなことを、柳沢は、さっき饗庭《あいば》もいる前で話していた。
 こちらは、柳沢がそんな意地の悪いことをするとは知らないから、胸に奸計《たくらみ》を抱《いだ》いていてお宮を傍に置いていたことはない。柳沢の方じゃそうじゃない。これが雪岡《ゆきおか》の呼んでいる売女《おんな》であると初めっから知っていて、口を利くにもその腹で口を利いている。鳥安なんぞへつれ出すにも、そういう胸に一物あってしていることだ。
 こういうと、お前は、つまらない、蠣殻町の女|風情《ふぜい》を柳沢に取られたといって、そんな他人聞《ひとぎ》きの悪いことをいうのはお止《よ》しなさい。あなたの器量を下げるばかりじゃありませんか。と、いうであろうが、それは私も知っているけれど、まあ、そんな具合で柳沢は最初お宮を呼んだのだ。そういえば、お前にも柳沢のすることが大抵判断がつくだろうと思って。
 そんな厭《いや》な思いをしながらも、やっぱり傍で見ていれば見ていてお宮の美目形《みめかたち》が好くって、その柳沢の買った女をまた買った。
 そうして疲れて戻《もど》って来ると、神経が一層悩まされてお宮のことが気になって気になって仕方がない。私がいっている間だけは安心しているが、見ないでいると、その間は柳沢が行って、ああもしているであろう、こうもしているであろう。と思い疲れていた。
 それから柳沢とは、なるたけ顔を合わさぬようにしようと思ってしばらく遠ざかっていたが、またあんまり柳沢に会わないでいると、今日もお宮のところに行っているであろう。いっているに違いない。きっと行っている。と思いめぐらすと、どうしても行っているように思われて、柳沢の様子を見なければ気が済まないで久しぶりに行って見た。
 例の片眼の婆さんに、
「旦那《だんな》はいるかね?」と、訊くと、
「ええ、おいでになります」
 何だか気に入らぬことでもあると思われて仏頂面《ぶっちょうづら》をしていう。
 柳沢が家にいるというので、私はいくらか安心しながら、婆さんがお上んなさいというのを、すぐには上らず、婆さんに案内をさせて、高い階段《はしごだん》を上ってゆくと、柳沢はあの小《ち》さい体格《からだ》に新調の荒い銘仙《めいせん》の茶と黒との伝法《でんぼう》な厚褞袍《あつどてら》を着て、机の前にどっしりと趺座《あぐら》をかいている。書きさえすればあちらでもこちらでも激賞されて、売り出している真最中なので、もう正月の雑誌に出す物など他人《ひと》よりは十日も早く手まわしよくかたづけてしまって、懐中《ふところ》にはまた札の束がふえたと思われて、いなせに刈ったばかりの角がりの頬《ほお》のあたりに肉つきが眼につくほど好くなって、浅黒い顔が艶々《つやつや》と光っている。
 私は、何よりもその活《い》き活《い》きとした景気の好い態度《ようす》に蹴落《けおと》されるような心持ちになりながら、おずおずしながら、火鉢《ひばち》の脇《わき》に座って、
「男らしい人よ。私あんな人大好き」と、いった宮の言葉を想《おも》い浮べて、それをまた腹の中で反復《くりかえ》しながら、柳沢の顔と見比べていた。
 柳沢は最初《はじめ》から、私が階段《はしごだん》を上って来たのを、じろじろと用心したような眼つきで瞻《みまも》ったきり口一つ利かないでやっぱり黙りつづけていた。私も黙り競《くら》をするような気になって、いつまでも黙っていた。
「どうだ。このごろは蠣殻町にゆくかね?」打って変ったような優しい顔をしてさばけた口を利いた。
「うむ。ゆかない。もう止めだ。つまら
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