ないから。君はどうだね?」
「僕もあんまり行かないが、……その後お宮を見ないかね?」
柳沢は、日ごろに似ぬどこまでも軽い口の利きようをする。
私には、何だか両方が互いの腹を探っているような感じがして来た。そうして柳沢との仲でそんな思いをするのが厭でいやでたまらないのだけれど、今度のことは最初から柳沢が私たち二人の中へ横から割り込んで来たのだから仕方がない。
「いや、見やしないさ。あれっきり行かないから……」
といったが、お宮が、私が来たということを、もし柳沢に話していたら、すぐ尻《しり》が割れてしまう。そんな嘘《うそ》を言って隠し立てをしているこちらの腹の中を見透かされると、柳沢の平生の性質から一層|嵩《かさ》にかかって逆に出られると思ったから、
「……おお、あれから一度ちょっと行ったかナ」
と、さあらぬようにいった。そうして腹の中では、どこまでも、どこまでも後を追跡していられるようで気持ちが悪かった。
「よく売れると思われて、いつ行って見てもいたことがない」柳沢はやや語声を強めていった。
じゃあ柳沢はあれからたびたびいって、お宮を掛けているのだナ。と、私は秘《ひそ》かに思っていた。
「君はこのごろまた大変に肥《ふと》って、英気|颯爽《さっそう》としているナ」
柳沢の顔を見守りながら、私は話頭を転ずるようにいった。
「うむ。僕はこのごろ食べる物が何を食ってもうまい」
愉快そうにいって、柳沢は両手で頬のあたりを撫《な》でた。
「君はこのごろ何だか影が薄くなったような気がする」
と、冷やかに笑い笑いいって、また私の顔をじろじろ凝視《みつ》めながら、
「そうして、だんだんいけなくなって……」
柳沢は、惨《みじ》めな者を見るのも、聞くのも、さもさも厭だというように、顔を顰《しか》めていった。
「ああ、影が薄くなったろう」私は憮然《ぶぜん》として痩《や》せた両頬を撫でて見た。
そうしてこう思った。自分は、何も柳沢に同情をしてもらいたくはないが、しかし私がどうして今こんなになっているか、その原因については、とても柳沢は理解《わか》る人間ではない。あるいはわかるにしてもそのことが私ほど馬鹿馬鹿しく骨身に喰《く》い入る人間ではないと思ったし、お前に置き棄《す》て同然の目に逢《あ》わされたがためにこうなっているのだともいえないし、またそんな気持ちは話したからとて、そういう経験のない者にはわかるものでもないから、私はただそういったまままた黙り込んでしまった。
「お宮が、雪岡さんを見ると気の毒な気がする。と、いっていた」
柳沢は、またそういって笑った。
「…………」私はしょげたように黙って笑っていた。
「……今日はお宮いるか知らん。……これからいって見ようか……」
柳沢は私を戯弄《からか》うのか、それとも口では何でもなくいっていても、その実自分で大いにお宮に気があるのか、あるいはまた影の薄い私が思うようにお宮の顔を見ることが出来ぬのを惨めに思って、お勝手口の塵埃箱《ごみばこ》に魚の骨をうっちゃりに出たついで、そこに犬のいるのを見て、そっちへ骨を投げてやるように、連れていってお宮に逢わしてやろうというお情けかと、私はちょっと考えたが、それはどちらにしたって構わない、とにかく柳沢とお宮と一座したら、両方にどんな様子が見られるか、柳沢にはお宮が好いのには違いない。そう思案すると、
「ああ、行ってもいい」
これから二人はややしばらく気の置けない雑談に時を過しながら点燈《ひともし》ごろから蠣殻町に出かけていった。
柳沢は歳暮《くれ》にしこたま入った銭《かね》の中から、先だって水道町の丸屋を呼んで新調さした越後結城《えちごゆうき》か何かのそれも羽織と着物と対の、黒地に茶の千筋の厭味っ気のない、りゅうとした着物を着て、大黒さまの頭巾《ずきん》のような三円五十銭もする鳥打帽を冠《かぶ》っている。私はあの銘仙の焦茶色になった野暮の絣を着て出たままだ。
小石川は水道町の場末から九段坂下、須田町《すだちょう》を通って両国橋の方へつづく電車通りにかけて年の暮れに押し迫った人の往来《ゆきき》忙しく、売出しの広告の楽隊が人の出盛る辻々《つじつじ》や勧工場の二階などで騒々しい音を立てていた。私はそんな人の心をもどかしがらすような街《まち》のどよみに耳を塞がれながら、がっかりしたような気持ちになって、柳沢が電車の回数券に二人分|鋏《はさみ》を入れさせているのを見て、何もかも人まかせにして窓枠《まどわく》に頭を凭《もた》していた。
「今日いるか知らん?」
電車を降りると柳沢は先に立って歩きながら小頸《こくび》を傾けて、
「どこへゆこう?」
「さあ、どこでもいいが、その、君の先だって行ったところがよかないか」
私は、これから後々自分が忍んでゆくところ
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