た今でも、それを聞けばお前は、またかといってさぞ顔を顰《しか》めるであろうが、年暮《くれ》に入用があって故郷《くに》から取り寄せた勧業銀行の債券が昼の間に着いたので、それを懇意な質屋にもって行って現金に換えた奴を懐中《ふところ》に握って、いい気持ちになりながら人群《ひとごみ》を縫うて通った。
そして三原堂で買った梅干あめを懐中にしてお宮の家の店先から窺《のぞ》いた。
狭苦しい置屋の店も縁起棚《えんぎだな》に燈明の光が明々《あかあか》と照り栄《は》えて、お勝手で煮る香ばしいおせち[#「おせち」に傍点]の臭《にお》いが入口の方まで臭うている。
早くに化粧《みじたく》をすました姿に明るい灯影を浴びながらお座敷のかかって来るのを待つ間の所在なさに火鉢の傍に寄りつどうていた売女《おんな》の一人が店頭《みせさき》に立ち表われた。
「お宮ちゃん内にいるのはいますが……」
「出られないでしょうか」
「雪岡さんかい?……どうぞお上んなさいと、そうおいい」奥の茶の間から主婦《おかみ》の声がした。
「どうぞお上んなさい。宮ちゃんいます」売女は主婦の声をきいてそういった。
「さあ、どうぞ。……蒲団《ふとん》を……お敷きなさいまし。……雪岡さんというお名は宮ちゃんからたびたびきいています。また先日は宮ちゃんに何より結構なお品をありがとうございました。……宮ちゃん今家にいますよ。この間から少し身体《からだ》が悪いといって休んでいます。宮ちゃん二階《うえ》にいるだろう。雪岡さんがいらしったからおいでッて」
「宮ちゃん、汚《きたな》い風をしているから行きませんて」
この前柳沢と一緒に来た時来た瓢箪《ひょうたん》のような顔をした小《ち》さい女が主婦のいったことを伝えて二階に上っていった。
「何をいっている!……汚い風をしていたって構やしないじゃないか、お馴染《なじ》みの方だもの。……」おかみは愛想笑いをしながら「もう我儘《わがまま》な女《ひと》ですからさぞあなた方にも遠慮がありませんでしょう。この間から歯が痛いとか頬《ほお》が脹《は》れたとかいって、それは大騒ぎをしているんですよ。……もう一遍いって雪岡さんがいらしったんですから、そのままでいいから降りておいでッて」
お宮は階段《はしごだん》を二つ三つ降りて来て階下《した》を覗《のぞ》きながら、「あははは!」と笑った。
二、三日|逢《あ》わなかった懐かしい顔は櫛巻《くしま》きに束《つか》ねた頭髪《あたま》に、蒼白《あおじろ》く面窶《おもやつ》れを見せて平常《いつも》よりもまだ好く思われた。
「どうしたの。そのままだって構やしないじゃないか。……どっか二人でその辺を、年の市でも見ながらブラブラ歩いていらっしゃいまし。……どうだい、雪岡さんが見えたから頬の痛むのが癒《なお》ったろう。どっか二人でそこらを散歩しといで……」
「ええ。あなたどうする? ゆく。じゃ私も行くからちょっと待っていて下さい」私の方を見ながら媚《こ》びるようにいっていそいそ二階に駆け上っていった。
私は主婦と長火鉢の向いに差し向ってそういう売女を置く家の様子を見ぬ振りをしながら気をつけて見ていた。堅気らしい丸髷《まるまげ》に結《い》ってぞろりとした風をした女や安お召を引っ張って前掛けをした女などがぞろぞろ二階に上ったり下りたりしている。
勝手口に近い隣の置屋《うち》では多勢の売女《おんな》が年の瀬に押し迫った今宵《こよい》一夜を世を棄《す》てばちに大声をあげて、
「一夜添うても妻は妻。たとい草履《ぞうり》の鼻緒でもう……」
ワンワン鳴るように燥《はし》ゃいでいる。私は浅ましく思ってきいていた。
やがてお宮は先《せん》のままの風で降りて来て、
「私もうこのままで行くわ!」この間のめりんすの綿入れの上に羽織だけいつものお召を引っかけている。
「そのままでいいとも」
主婦《おかみ》は、「御夫婦で仲よう行っていらっしゃいまし」と、煙草《たばこ》を並べた店頭まで送り出した。
街路《そと》はぞろぞろと身動きもならぬほどの人通りである。
「どっち行くの」お宮はいつもの行儀の悪い悪戯娘《いたずらもの》のような風の口をきいた。
「さあ、どっち行こう。あんまり人の通っていない方がいい」
私は、人眼のない薄暗い横丁をお宮と二人きりで手と手を握り合って歩いて見たかった。
「もっと人の通っていない方に行って見よう。材木町の河岸《かし》の方にでも」
「あんなところ歩いたってしょうがないさ」お宮は歯が痛むといって、頬を抑《おさ》えながら怒ったようにいった。
「じゃどこを歩くの?」
「どこってどこでも」
「そんなことをいったって仕方がない。お前はどこへ行きたいんだ」
「私はどこへも行きたかない」
「じゃ行くのが厭《いや》なの」
「いやじゃないさ」また怒
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