の》といっては小《ち》さい荷車一つにも足らなかった。小倉は暇にまかせて近いところを二度に運んでいった。
そうなくてさえ薄暗い六畳二間ががらんとして荷物を運び出した後がまるで空家《あきや》のように荒れていた。
私は老母《ばあ》さんのぶつぶつ言っているのを尻目《しりめ》にかけながら座敷に上って喪心したようにどかりと尻を落してぐったりとなっていた。
家外《そと》は静かな暖《あった》かな冬の日が照って、どこかそこらを歩いたらば、どんなに愉快だろうと思うようにカラリと空が晴れていた。
ようやく立ち上って私はそこらの家ん中を見てまわった。すると台所の板の間に鼠入《ねずみい》らずがあるのに気がついて、
「ああ、これは高い銭《かね》を出して買ったのだ」と思いながら、方々の戸棚《とだな》を明けて見るといろんな物が入っている。よく二人の仲が無事であった時分に私が手伝って西洋料理をこしらえて食べた時のパン粉やヘットの臭《にお》いがして、戸棚の中に溢《こぼ》れている。
小袖斗《こひきだし》の中には新らしい割箸がまだたくさんにある。
「お客に割箸の一度使ったのを使うのは、しみったれていますよ。あんな安いものはない。それでもよく黒くなったのを出す家がありますよ。私はあんな人気が知れない」
そういって割箸の新しいのなどには欠かさなかったお前の効々《かいがい》しい勝手の間の働き振りなどを、私はふと思い起してしばらくうっとりと鼠入らずの前に立ち尽して考え込んでいた。すると、
「なんです?」
老母《ばあ》さんが四畳半の部屋から顔を窺《のぞ》けて私が鼠入らずの前に突っ立って考えているのを見て
「あなたその鼠入らずまで持っておいでなさるんですか? それはおすまにやるんじゃありませんかおすまにやるとおいいなすったんじゃありませんか」
口の中で独語《ひとりごと》でもいうようにぶつくさいった。
私は癪に障ったから、道具屋を呼んで来てそいつを叩き売ってやろうという考えが起った。
なるほどこれはお前にやるとはいったことはあるようだが、矢来の老婆《ばあ》さんのところに来ての話しにも
「お姑《ば》さん、こんど雪岡が来たら、そういって所帯道具などは安い物だ。後腐りのないように何もかも売ってしまうようにいって下さい。あんな物がいつまでも残っていてしょっちゅう眼についているとかえっていろいろなことを想《おも》い起していけないから」
と、そういっていたというのを思い浮べたから、私は外の通りに出て古道具屋を探《さが》したが、一軒近くにあった家では亭主が出ていて、いなかった。それでまた「え、面倒くさい!」と思って老母さんのいうがままにうっちゃらかしてとうとう喜久井町の家を出て加藤の家へやって来た。
加藤の家では主婦《かみさん》が手伝って小倉と二人がかりであの大きな本箱を二階に持って上って置き場を工夫しているところであった。
南向きの障子には一ぱい暖かい日が射《さ》して、そこを明けると崖下《がけした》を流れている江戸川を越して牛込の窪地《くぼち》の向うに赤城《あかぎ》から築土八幡《つくどはちまん》につづく高台がぼうと靄《もや》にとざされている。砲兵|工廠《こうしょう》の煙突から吐き出す毒々しい煤煙《けむり》の影には遠く日本銀行かなんかの建物が微《かす》かに眺められた。
私は、そこの※[#「木+靈」、第3水準1−86−29、344−下−16]子窓《れんじまど》の閾《しきい》に腰をかけてついこの春の初めまでいた赤城坂の家の屋根瓦《やねがわら》をあれかこれかと遠目に探したり、日本橋の方の人家を眺めわたしたりして、いくらか伸び伸びとした気持ちになっていた。
まだ一緒にいる時分よく先《せん》のうち、お前が前の亭主と別れて帰った時の話しをして、四年前一緒になる時にも仲に立った人間が、
「おすまさんもまんざら悪くもなければこそこうして四年もいたのだから、あの人の顔を立てて半歳《はんとし》の間はどんな好い縁談《はなし》があっても嫁かないようにして下さい」
と、いって別れて戻ったと言ったじゃないか、私とは満《まる》七年近くも一緒にいて、それで私がまだ現在お前の親の家にいる間にそんなことをしたかと思うと、どれほど私の方でああ済まぬことをした、苦労をさした、気の毒である、可愛《かわい》そうだと思っていても、そう思っていればいるほどお前ら一族の者の不人情な仕打ちを胸に据えかねて、そのままあのとおりの手紙を寝床の中で書いたのだ。
柳町の新吉の奴、どうしてくれよう。まだ暑い時分であった。私が、ともかくもお前と別れることになって、当分永い間東京に帰らぬつもりで函根《はこね》にいって、二十日《はつか》ばかりいて間もなくまた舞い戻って来た時、
新橋に着くとやッと青の電車の間に合って、須田町ま
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