明けてくれた。
私は押入れを明けて氷のような蒲団《ふとん》の中へ自棄糞《やけくそ》にもぐりこんで軒下の野良犬《のらいぬ》のように丸く曲ってそのまま困睡した。
老婆《ばあ》さんは、前にもいったようにきっとお前や柳町の入れ知恵もあったのだろうが、私にここのうちを出ていってくれといって、後には毒づくように言って追い立てようとした。
私も、お前がどこにどうしているか、それを知りたいばかりに喜久井町の家で欝《ふさ》ぎこんで湿っぽい日を暮しているものの、そこにいたって所詮《しょせん》分るあてのないものとなればどこか他の、もっと日当りの好い清洒《こざっぱり》とした間借りでもしようかと思っていたが、それにしても六年も七年も永い間不如意ながら自分で所帯をもって食べたい物を食べて来たのに、これから他人の家の一|間《ま》を借りて、恋でも情けでもない見知らぬ人間に気兼ねをするのが私には億劫《おっくう》であった。それでずるずるにやっぱり居馴《いな》れた喜久井町の家に腐れ着いていたのだ。
すると弟の柳沢のいた、あの関口の加藤の二階が先だってから明いていて、柳沢のところの老婢《ばあさん》に
「雪岡さん、本当においでになるんでしょうか、おいでになるんなら、なるんでそのつもりで明けておくから」
といって、加藤の家の主婦《おかみ》さんが伝言《ことづけ》をしていたというから、それで喜久井町の家の未練を思いきって其家《そこ》へ移ることに決心した。
それは確か十二月の十七日であった。宵《よい》から矢来《やらい》の婆さんのところの小倉《おぐら》の隠居に頼んでおいて荷物を運んでもらった。
萎《な》えたような心を我れから引き立てて行李《こうり》をしばったり書籍《ほん》をかたづけたりしながらそこらを見まわすと、何かにつけて先立つものは無念の涙だ。
「何で自分はこんなに意気地《いくじ》がないのだろう。男がこんなことでは仕方がない」
と、自身で自身を叱《しか》って見たが、私にはただたわいもなく哀れっぽく悲しくって何か深い淵《ふち》の底にでも滅入《めい》りこんでゆくようで耐《こら》え性《しょう》も何もなかった。
小倉に一と車積み出さしておいて、私は散らかった机の前で老母《ばあさん》の膳立《ぜんだ》てしてくれた朝飯の箸《はし》を取り上げながら
「お老母《ばあ》さん、長いことお世話になりましたが、私も今日かぎり此家《ここ》を出てゆきます。もう此家を出てしまえば私とおすまやあなた方との縁もそれで切れてしまいます。七年の間には随分あなたやおすまに対してひどいことをいったこともありますが、それは勘弁してもらいます。……私も出て行ってしまえば、もうおすまをどうしようとも思いませんから安心して下さい。……真実《ほんとう》におすまはどうしているんです。私がこうして綺麗に引き払って出てゆくんですから、それだけ言ってきかしたって別条ないでしょう」
私は心から詫《わ》びるような気になって優しくいった。すると老母さんはどう思ったか、きっとそんな言葉には何とも感じなかったろうが、膳を置いてゆきがけに体《からだ》を半分襖に隠すようにして
「おすまは女の児の一人ある年寄りのところに嫁《かたづ》いています……」
老母さんの癖で言葉尻を消すようにただそれだけいって、そのまま襖をぴたりと閉《し》めて勝手の方へ行ってしまった。
私はそれを聴《き》くと一時《ひととき》に手腕《うで》が痲痺《しび》れたようになって、そのまま両手に持っていた茶碗《ちゃわん》と箸を膳の上にゴトリと落した。一と口入れた御飯が、もくし上げて来るようで咽喉《のど》へ通らなかった。
そして引越しの方はそのまま小倉に任せておいて私はまるで狂気のようになって家を飛び出した。
「ああ、七年添寝をしていたあの肉体《からだ》は、もう知らぬ間に他の男の自由になっていたのだ。ああもう未来|永劫《えいごう》取返しのつかぬ肉体になっていたのか!」
と、心を空にその年寄りだという娘の子の一人ある男の顔容《かおかたち》などをいろいろに空想しながら、やたらに道を歩いていった。
そうしていつか矢来の老婆《ばあ》さんが
「どうもおすまさんは伝通院《でんづういん》の近くにいるらしい」
と、いったことを思って山吹町の通りからいっさんに小石川の方に出て伝通院まで行って、あすこの裏あたりのごみごみした長屋を軒別《けんべつ》見て廻った。そしてがっかり疲《くたび》れた脚《あし》を引《ひ》き擦《ず》りながら竹早町から同心町の界隈《かいわい》をあてどもなくうろうろ駆けまわってまた喜久井町に戻って来た。
「もう皆な小倉さんが持っていきなすったんですよ。もう何にもありやしません」
老婆さんは、何しに来たかというように言った。
だんだん減っていた私の所持品《もちも
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