たこと、それが何だといふのだらう。何でもありはしない。何の意味もありはしない。僕はその頃、自分の病氣であることを信じてゐたが、今ではそれすら信じないのである。その頃も今も、僕は孤獨なのだ。それが僕の本音であり、僕の全部なのだ。あゝ、この孤獨がどんなものか、僕は説明しようとは思はない。僕は島へ來る前に友人と話をして、俺は孤獨なのだ、と云つた。僕はそれを、ありうべからざる風に、滑稽な風に話した。そして、彼も笑ひ、僕も笑つた。だが、二人の笑ひが全然ちがつたものであることを僕は知つてゐる。そんなことはそれ以外に話しやうがないのである。若し眞面目に話さうとしたら、それこそ眞に滑稽で、眞に不快なものになる。だが、僕が孤獨だといふのも、やはり一時的なもので、やはり意味がない。では、どこに、どんな風にして、永久なもの、意味のあるものがあるのか。
 僕がこの土地へ來る氣になつたのも、何故だか解らない。誰がそんなことを知るものか。僕は何もかも嫌で、不愉快で、信ぜられない氣がした。僕の不眠症もこの頃大分よくなつたが、僕はもう以前の状態にはかへれないやうな氣がする。僕をして赴かしめよ。どこへ。どこへだか知るものか。僕の妻は今働いてゐるが、そして彼女と三人の子供を養つてゐるが、僕もそれには最初力添へをしたのだが、彼女の計劃がうまく行きはじめると、不可解なことに、僕は云ひやうなく不快になつて、彼女の仕事をぶちこはしたくなつたのである。彼女の仕事だけではない、あらゆる都合のよい、順序よくすゝむ仕事、そんなものは僕には何かしら耐へがたいことのやうに思はれた。何とでも解釋するがいゝ、これは事實僕の中に起つたことなのだ。たゞ、彼女をして赴かしめよ。僕は僕だ。
 島へ出發する二三日前、僕は妻とは別の今一人の女に會ひに行つた。會ひに行つたのではない。單にそこへ行けば、彼女に會へることがわかつてゐたのだ。僕にはそこへ行く用があつた。旅費を借りに。僕はこの四年間その女に會はず、その女に會ひさうな機會は一切避け、その女の名を口にせずに過した。その女の名を聞くことは苦痛であつた。それでも僕は人づてに彼女が結婚し、子供を産んだことを聞いた。それは會はうとしなくなつてから二年めであつた。その前にもその後にも、僕は彼女の眼にふれ、僕もまた彼女を見、その聲を聞くことをどんなに切望したことだらう。だが、僕は行かなかつた。何
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