てゐる。古刀で周知の安綱、真守は伯耆の大原邑の出であり、山を越した山陽側の備前長船にはやはり名匠を多く生んだことも当然であるかもしれない。現在でも、玉鋼は日本刀及び特殊方面に有力な原料となつてゐる由である。
 布部は、中海沿岸の荒島といふところから電車で広瀬まで来て、それから更にバスで数十分飯梨川の上流に沿つて山間に入つたところに在るが、途中の広瀬から荒島にかけての平野は、低い山並みの向うに大山が見えて、いかにも美しいところだ。
 平野といへば、宍道湖以西の簸川平野も、一方は湖、片方は海にはさまれたのびやかな明い所であるが、そして、その附近では秋から冬にかけての烈しい西風を防ぐために、農家といふ農家はどれもこれも松の防風林にかこまれ、しかもどういふわけか、きちんと四角に刈りこんでゐるので、遠方から見ると、広い田の中に黒緑の四角なものが点々としてゐて面白い異風景をなしてゐる。防風林は必ずしもこゝだけに限つたことではないので、武蔵野でも農家は高い欅だの杉林の中に屋根を蔽はれてゐるが、簸川平野のやうに刈りこんだのは珍しい。それも殆ど松にかぎられて、あれだけの立木を全体に四角に刈りこむのは容易
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