物はすでにその夏とりこはしたばかりで、目下改築中だつたからもはや見るべくもなかつた。もつとも、工場主任の細井氏の話によると、改築はかなり問題になつたさうであるが、何分にも時局の要求で増産を緊急としてゐるから、それには手狭でもあり不便でもあるので止むを得ずとりこはした、といふことだつた。記念に残された写真で見ると、全体にこけら葺きの厖大な屋根をそつくり地面に立てたやうな建物で、何となく古代の天地根元造りを思はせるやうな異色のあるものだつた。これは私の素人考へであるが、時局の要請で止むを得ないとすれば、これだけを記念物として残し、別の地点に工場を建てゝもよかつたのではなからうかといふ気がした。むろん、その附近は谷合ひの狭い地所だから、他に適当な場所といつてもなかつたかもしれないのではあるが――。
 その、大きな屋根を地面からすぐにおつ立てたやうな建物には、窓らしいものは全然なかつた。僅かに屋根の大棟に煙抜きらしいものがあるだけである。当時、中で仕事をしてゐるとうす暗いのを通り越して殆どまつ暗らだつたぐらゐだといふ。細井氏は技師として近代工学の素養もあるわけだが、この原始的な「たゝら」の建物
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