気にかけなくなつた。
「御病人はどちらで?」
 房一はふと自分に返つて訊いた。
「あ、さうでしたな。一つ診ていたゞきませう」
 相沢は釣られて思ひ出したやうに愛想よく答へたが、その歩き出した足は家の方へではなく、馬の方に近づいて行くといきなり親しげに平手で軽く馬の首を叩いた。驚いたやうに二三度首を振つた馬は、すぐ目をつむつて、快げにその光沢のある首を伸ばしぢつと愛撫をうけた。相沢はふりかへつて房一を得意さうに眺めた。彼はさつきから、房一がこの馬に気をとられてゐるのを、そして馬を見るときの房一の目が一種の特別な光りを帯びてゐるのに気がついてゐたので、どうしてもかういふ光景を演じて見せたいといふ子供染みた欲望を押へることができなかつたのである。
 これでは房一も後もどりしないではゐられない。馬は今片耳を後に立て、時々それを動かせてゐた。それは見てゐるだけでも美しい生き物だつた。房一にはしなやかなだが強い張りのある首が疾駆の時にどんなに強く前傾し、どんなに直線的になるか、どんなに風を切り、どんなに躍動するか、まざまざと目に浮ぶやうであつた。
「これはあなたがお乗りになるので――?」
「さうで
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