つた今坂路の上から見慣れない、何となく不様なだがともかく彼の注意を惹かずには居れない種類の男がゐるのを目に入れるまでは、全く房一のことは毛ほども考へたことはなかつた。したがつて彼はひどく驚かされた。次には興味を持つた。練吉はその甘やかされ、順調に育つた境遇からして、他人との手厚いつき合ひの心持などは持たうとしたことがなかつた。大石医院の若医師としての境遇は、彼が望んでなつたものでもなければ、苦心して得たものでもなかつた。彼はたゞさうなるやうに生れついた。それをさまたげる事情は何一つなかつた。この自分では大して好んでもゐないし、やむを得ずなつて、やむを得ずまはりから、尊敬を受けてゐる位に考へてゐる医師としての職業は、しかし内実は彼の虚栄心を無意識のうちに支へてゐるものだつた。何故なら他の誰でもがこの町で医者になることはできなかつたし、彼自身は大して好んでゐなくつてもなれたのだ。
だが、さういふことは練吉は今まで考へたことがなかつた。その必要もなかつた。それは単に一つの習慣、彼自身のと云ふより、河原町に張りわたされてゐるあの根深い習慣のおかげだつた。
「これからどちらへ?」
「杉倉まで―
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