一は河原町で医師として立つて行く上の先々の困難は十分心得てゐるつもりだつた。どんなに房一が成功者と目されたところで、一方では彼が河場の一介の百姓息子にすぎなかつたことを河原町の人達は忘れてゐはしなかつた。その上、河原町には古くから根を張つた大石医院といふものがあつた。
 こゝの当主はもう七十近い老人だが、まだ郡制のあつた先年まで郡の医師会長だつた人で、この地方での一二と云はれる有力者でもあつた。それに相当な地主だ。その政治上の勢力や小作人関係などからきてゐる彼の家と患者との関係は一朝一夕になつたものではない。今では老医師の正文は半ば隠居役で、息子の練吉といふ若医師が診察の方はひきうけてゐるのだが、中には「老先生の患者」といふ者もある位だ。
 だから、房一にしてみればわざわざ小面倒なところへ乗りこんで行つたやうなものである。それだけに房一は事前に大体の目算をつけてゐた。彼の計算によれば、彼の生家のある河場一帯はむろん彼の地盤に入るとして、河原町の川向ふは今まで何かにつけて町側に押されてゐたから自然その半ばは自分に着くと思はれた。その他の所、町場と近在については、この地域での大石医院の勢力
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