度通りかゝつて、「あんたは高間さんぢやないですか」と呼びかけた。
「えらい評判ですなあ。けつこうですよ。ぜひ話しに来て下さい。わたしはこんなにいつもひまですからな」
さう云ひすてて、大きな音を立てて下駄をひきずりながら立去つたのだ。
「さあ。どうぞ、どうぞ」
彼は背だけでなく、腕と云ひ胴体と云ひ、又その両脚と云ひどの部分もすべていやに長かつた。その手を差しのべて、房一を座蒲団の上に招じると、自分も対《むか》ひ合つて座を占めた。すると、又もや長い両膝が蒲団の上からはみ出して、房一の方に向いてにゆつと二つ並んだ。
「よく来てくれましたな。けふはゆつくりしてもかまはんのでせう。あんたは碁を打ちますか。――さうですか、御存知ないですか。それはちよつと。まア、しかし、こんなものは覚えん方がいゝかもしれませんなあ」
さう云ひながら一寸横目で自分の膝のわきに据ゑたずつしりと厚味のある榧《かや》の碁盤を眺めた。
「今日はほんの御挨拶に上つたので、いづれ又ゆつくり――」
この分では永くなりさうだと思つて、房一が腰を浮かし気味にすると、
「まあ、いゝでせう。せつかくぢやありませんか」――
「あ、さうだ。お茶、お茶。おい、お茶を出してくれ」
と、相手は慌ててその筒抜けな声を庫裡の居間に向けて放つた。
「いや、どうぞ構はんで下さい」
「どういたしまして。お茶位さし上げんと」
いきなり忙《せ》はしなく立上ると庫裡へ走つて行つて、間も無く茶器を揃へた盆を自分で持ち運んで来た。長い胴を折り曲げるやうな危つかしい調子で房一の前に置くと、
「さあ、どうぞ。仇《かたき》の家へ行つても朝茶はのめ、と云ふことがありますよ。お茶ぐらゐはのんでもらはんと――」
「いやあ、全く」
房一は苦笑した。
間もなく千光寺の山門を出た房一は、殆ど人通りと云つてはない一本町の本通りを更に上手へと歩いて行つた。両側には軒の低い、一体どんな商売で暮しを立ててゐるのか判らないやうな、古障子を閉めきつた家が並んでゐた。その間々にちつぽけな、素人《しろうと》くさい塗り方をしたニス枠の飾窓に、すぐに数へられる位にばらつと安物の時計を並べた家や、埃の一杯かゝつてゐる雑穀屋の店さきなどがはさまれてゐた。まつ昼間だと云ふのに、通りには殆ど人の気配がなかつた。或る家の前の土間では、犬が一匹、その犬は捲の尻つぽをくるりとさせたまゝ、腹を地につけて坐りこみ、いかにも興味がなささうな、誰か通るから見てやるんだぞ、と云ふやうな様子で房一を眺めてゐた。その少し先きの家の縁側では女の子が二人、くたくたに古くなつて、紅いつけ色の滲んだ布ぐるみの人形をいぢつてゐた。口を利かなかつた。たゞ肩さきを擦りつけて手さきを動かしてゐるだけだ。それで、寝かされたり、起されたり、とれかかつた手をぶらんとさせたりする人形よりも、黙りこくつてそれをいぢつてゐる女の子達の方が、この薄ぼんやりした通りに似合つて、もつと人形染みてゐた。
しばらく行くと、ちやうど河原町の中ほどにあたる所で家並みがかなり長い間途切れてゐた。まはりは田圃《たんぼ》だけの、そこで今までまつすぐに来た道路は斜めに屈折して、二つの直線をなす上の町と下の町との喰ひちがひをつないでゐた。上の町のとつつきはやはりはつきり曲つてゐるので、その端にある雑貨店の前面が殆ど突きあたりに見えた。それは横手の壁が白く快げに厚く塗られて、その上に青黒い漆喰《しつくひ》で屋号を浮き出させた、かなり大きな裕福さうな家だつた。房一がその方に向つて歩きながら何気なく見ると、一人の男がその家の前に立つてゐるのが目に入つた。たつた今何となく家の中から出て来たらしくいかにも用がなげにあたりを見まはしてゐたその男は、近づいて来る房一の姿に気づくと大袈裟に手を額にかざして日をよけながらぢろぢろと眺めはじめた。それはまるで、この道路が彼の私有物で、そこを案内もなしに闖入《ちんにふ》して来る見ず知らずの男を咎めにかゝつてでもゐるかのやうであつた。
年は五十過ぎ位、見るからに小柄な貧弱きはまる痩せつぽちだが、何となく自分の身体を大きく見せようと絶えず心を配つてゐるらしい足の踏ん張り方をしてゐた。手足も、顔の皮膚もうすく日焼けがし、乾いて、骨にくつついてゐた。が、頭髪はそれとは反対に驚くほど真黒で、きちんと櫛目を入れて分けられ、鼻下にはやはり念入りに短く刈りこんだ漆黒の髭をはやしてゐた。それは何かちぐはぐな印象で、中農の地主にも見え、町役場の収入役のやうでもあり、又どこかに馬喰《ばくらう》臭いところもあつた。だが、一貫して現はれてゐるのは、小柄の者がさうである場合特に目立つ、そして見る者の咽喉のあたりを痒《かゆ》くさせるやうな、あの横柄《わうへい》さであつた。
房一には間もなくそれが雑貨店の主
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